松岡正剛の千夜千冊・971夜
手塚治虫
『火の鳥』全13巻
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ついでにヴィクトル・ユゴー ( 962夜 ) やエミール・ゾラ ( 707夜 ) を加えてもいいけれど、ようするに、かつてはそういう作家を「文豪」と呼んでいたのだから、さしあたってはそう呼ぶしかないのだが、文豪なのだ。
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ただし、この文豪は文章による文豪ではなくて、マンガ文豪なのだから、それゆえたとえば「画豪」とか「漫画王」とか、あるいは「漫画のレオナルド・ダ・ヴィンチ ( 25夜 ) 」とか「漫画聖人」としなければならないのだが、これにあたる呼称は世間がさっぱり用意しきれていない。この用意は当然に日本がなすべきである。
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『火の鳥』の連載は手塚自身が発行元となった「COM」で連載が開始された。昭和42年(1967)である。
ぼくも雑誌を創刊したからわかるのだが、表現者がメディアをおこすときの入れ込みようといったら、これは傍目では想像がつかないくらいに大変なもので、売れてもらわなくては困るけれど、それよりも自分が自分を託したメディアに自分の魂が入っていなかったらどうしょうかと、そういうことばかりを考える。
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かくして手塚が『火の鳥』に構想したのは、「生命」の息吹を伝える輪廻転生というものだった。
これは滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』で企んだこと、また、中里介山 ( 688夜 ) が『大菩薩峠』で思い描いたこと、あるいはサタジット・レイが映画『大地の歌』『大河の歌』『大樹の歌』のインド3部作でめざし、三島由紀夫が遺作『豊饒の海』で書こうとしたことがそうであったように、表現者が何かを覚悟してすべてを出し尽くしたいときに、とくにそれが東洋者や日本人である場合に、とっておきのものとなる。
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劈頭、オムニシエントな「引きの目」がふつうのマンガの5倍くらい多めに始まって、一気に「寄りの目」になり、これが次々に組み替えられてかなり続くと、いったん「引きの目」が入り、これで大きな「価値相対化のはからい」のような場面が設定できると、また「寄りの目」になってというふうに続く。おそらくは、おおかたの読者が想像する以上に「引きの目」の場面は少ないのだが、それが読後の印象ではまことに鮮やかに記憶に残るようになっている。
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手塚はこのなかで、悪をたっぷり描き、そのぶん追いつめられた善を清冽に、少なめに屹立させた。たとえば「未来篇」のモニタ少佐に対するにマサトのように。「乱世篇」の清盛的なるものに対するに木こりの弁太のように。これが「価値相対化のはからい」である。
しかし、手塚はその善をはっきりとは残さなかった。大量の悪に対して少数の善や孤立の愛が残余したわけではなかったのだ。
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悪が多めに、それなのに善も見つかりにくいという展開は、読者をどこへ連れ去るかというと、そこには二つの両極が待っている。
ひとつは「聖なるもの」「大いなるもの」「普遍なるもの」に連れ去っていく。いわば、ダンテ・アリギエリ ( 913夜 ) とウィリアム・ブレイク ( 742夜 ) の歌が聞こえるほうへ向かっていくということだ。これはまあ、見当がつくだろう。
もうひとつは、読者は自分の共感や反意を登場人物にも託せず(なぜならすべての登場人物はすでにその感情と意識を描き切られているから)、といって自分の内側にも行けないので(なぜなら読者の内側よりずっと大きな意識のドラマが描き切られているのだから)、ついつい作者のほうへ向かっていく。
きっと手塚治虫はこの作者のほうへ流れこんでくる大量の読者の意識を感じるたび、慄然としたことだろうと思う。作者の手塚としては、ちゃんと「普遍」を提示したのだが、読者はとうていそんなところへは進めないものなのだ。
しかし、このようになるのは、手塚が善を多めに残さなかったからなのである。そこを凡百の通俗作家たちは善ばかりを終盤に残して、ドラマを消費財にしてしまうものである。 ( 297夜 )
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別の言い方をするのなら、『火の鳥』がもつ完璧に近い物語性も絵画性も芸術性も、それは『火の鳥』の構想と想定自身が手塚治虫をシャーマン的に媒介して『火の鳥』そのものを生み出していくのであって、そこに手塚治虫の恣意的なるものは介入できないようになっているということなのだ。すなわちそのくらいまで、手塚治虫は物語そのものにも、映像そのものにも、またマンガの途上で次々に出てくるすべてのキャラクターとも同化できるほどに、エディティング・マシナリーになっていたということなのである。
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