松岡正剛の千夜千冊・988夜
道元『正法眼蔵』
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そこで比叡山を無視して潔く説法を開始してみると、学衆が次々に集まってくる。天福元年(1233)、道場の興聖寺を作って正式に法話を語ることにした。それが『正法眼蔵』の最初の「現成公按」と「摩訶般若波羅蜜」の2巻になった。以降、年を追って巻立てがふえていく。
すでに書いたように、この『正法眼蔵』にはいくつかの写本があるのでどれをもって定番とするかは決めがたいのであるが、ここでは75巻本をテキストに、以下に列挙した。ところどころに勝手な解説をつけた。全部を埋めなかったのは、それが道元流であるからだ。
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四 八「法性」。道元は37歳で興聖寺をおこしたが、比叡山から睨まれていた。そこで熱心なサポーターの波多野義重の助力によって越前に本拠を移す。そして44歳のとき、この1巻を綴った。「人喫飯、飯喫人」。人が飯を食えば、飯は人を食うというのだ。飯を食わねば人ではいられぬが、人が人でいられるのは飯のせいではない。飯を食えば飯に食われるだけである。道元はこれを書いて越前に立脚した。
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五 三「梅花」。「老梅樹、はなはだ無端なり」。老いた老梅が一気に花を咲かせることがある。疲れた者が一挙に活性を取り戻すことがある。「雪裏の梅花只一枝なり」。道元は釈迦が入滅するときに雪中に梅花一枝が咲いた例をあげ、その一花が咲こうとすることが百花繚乱なのだということを言う。すでにここには唐木順三が驚いた道元による「冬の発見」もあった。
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七 一「鉢盂」。「ほう」と訓む。飯器のようなものだが、禅林ではこれを仏祖の目や知恵の象徴に見立てて、編集稽古する。このときたいてい「什麼」(しも)が問われる。「什麼」は「なにか」ということで、この「なにか」には何でもあてはまる。それゆえ、何でもいいわけではなくなってくる。その急激な視野狭窄に向かって、道元が「それ以前」を問うのである。
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