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松岡正剛の千夜千冊・1350夜
リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯 - リベラル・ユートピアの可能性』
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リチャード・ローティはこのAIDA(間)にいて、カント以来の“哲学さま”を傍若無人にぶっこわす。そして、新たな知の組み替えの方法と方向を自身の好みだけでリスク・テイクする。
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コンティンジェントであるということは、まずは偶然性や偶発性に自覚的になるということである。次に、そこにはオプションとリスクの発生とそのハンドリングが発生し、そこに自身の動向が前方に向かって投企されるということである。
つまりは、自身におこった偶発性や偶然性を、その来し方と行方を情報知覚して、そのコンティンジェントな機会によって出入りした出来事・情報・知覚・思索のいっさいを新たに編集していくということ、これがコンティンジェントであるということになる。
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ローティは本書において、このコンティンジェンシーをたいそうメタフォリカルに扱って、言語や自己や共同体の本質そのものにあてはめた。言語の本質も自己の本質も共同体の本質にもコンティンジェンシーがかかわっていると見たのだ。
いわば新たな「偶然性の哲学」の開陳なのである。これは、かつてニーチェ(1023夜)や九鬼周造(689夜)などによる例外的な思索の試みがあったとはいえ、…
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