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松岡正剛の千夜千冊・1414夜

松岡正剛の千夜千冊・1414夜
伊坂幸太郎・斎藤純・佐藤賢一・高橋克彦ほか
『東日本大震災』
— 仙台学vol.11 —
桜満開の塩釜で
一冊の薄っぺらな雑誌を手にした。
「仙台学」特別号だった。
東北に縁のある書き手たちが
大震災後の心境と見解を寄せていて、
この1カ月の3・11ものでは、
他には見られぬエッセイで埋まっていた。
モノクロ写真もいい。体温がある。
この雑誌を刊行している版元は「荒蝦夷」(あらえみし)という。それだけで十分だ。立派だ。“中央に屈服しなかった者たち”の意味である。
 冒頭は赤坂憲雄(1412夜)が書いている。4月初旬に国道6号・陸前浜街道を北上して塩屋崎灯台をめざした途中の瓦礫と光景と初老夫婦のことを語り、これは「置き去り」だと感想している。
 やはり「復興なんて、誰が言ったんだ」と怒っているのは、ルポライターの山川徹だった。… 南三陸志津川、石巻、気仙沼、女川、陸前高田、大船渡‥‥。惨状いちじるしい被災地をすべてまわっている。「慟哭する人」にも初めて会った。そして、感じた。「復興」なんて、自分たちの不安を和らげるだけのための言葉じゃないか。
 多くの作品で読者を唸らせてきた高橋克彦は、今日の東北文学を代表する作家の一人だが、大震災で「自分の仕事に対する疑念が大きく膨らんでしまった」そうだ。みんなが「ガソリンが足りない、電池が手に入らない、米がない」と言っているのに、誰も書店や図書館や映画館が休業していることを嘆かないからである。高橋は書店や図書館に並ぶ本を書いて生活をしているのに、そういうものはこの災害の現実の前ではなんら主張力がないようなものだったことを突き付けられたと感じたようだ。
 星亮一の『敗者の維新史』『奥羽越列藩同盟』『大鳥圭介』は、ぼくも愛読した。仙台に生まれ育ち、いまは福島にいるようだ。その星は4度にわたって津波被災地の取材をした。その体験をさすがに要訣をとらえて綴り、そのうえで東電と日本政府の責任を問う。「誰がどう言おうが、私は福島県を離れるつもりはない。この惨事を自分の目で見続けるためである」と断言しているのは、長らく戊辰戦争の悲惨と愚挙を書きつづけている著者にふさわしい。覚悟のある結語というべきか。