松岡正剛の千夜千冊・1567夜
孟子『孟子』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1567.html
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孟子は君子が守るべき王道とその心得として、また「不動心」と「惻隠の情」も説いた。不動心はわかりやすいだろうが、惻隠(そくいん)は四端におこるもので、憐憫の気持ちを抱くことをいう。
四端とは「惻隠・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非」のことで、孟子は次のように解義した。端とは端緒である。「惻隠の心は仁の端なり」「羞悪の心は義の端なり」「辞譲の心は礼の端なり」「是非の心は智の端なり」と。
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孔子は「仁」を主唱した。これは仁による仁愛のことである。そこから墨子派は「兼愛」を、楊朱派は「自愛」を強調していた。東洋における「愛」の思想の深まりだ。こういう自他の愛が相い並ぶという考え方はヨーロッパには薄い。しかし、この思想はしだいに孔子学苑の軸から離れようとしていた。
この動向を見た孟子は「楊朱・墨擢の言、天下に盈(み)つ」と嘆き、各地の王との問答を通しつつ、かれらに代わる思想の表明にとりくんだ。ここに登場してきたのが新たな「仁義」の提唱だった。
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思想家たちばかりではない。戦後のヤクザ映画や少年マンガ、あるいは『AKIRA』(800夜)以降の昨今のアニメ、さらにはヤンキーブームなども、実は孟子の王道と革命の割れ目を突いて噴出してきたものともいえるのである。
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孟子『孟子』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1567.html
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孟子は君子が守るべき王道とその心得として、また「不動心」と「惻隠の情」も説いた。不動心はわかりやすいだろうが、惻隠(そくいん)は四端におこるもので、憐憫の気持ちを抱くことをいう。
四端とは「惻隠・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非」のことで、孟子は次のように解義した。端とは端緒である。「惻隠の心は仁の端なり」「羞悪の心は義の端なり」「辞譲の心は礼の端なり」「是非の心は智の端なり」と。
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孔子は「仁」を主唱した。これは仁による仁愛のことである。そこから墨子派は「兼愛」を、楊朱派は「自愛」を強調していた。東洋における「愛」の思想の深まりだ。こういう自他の愛が相い並ぶという考え方はヨーロッパには薄い。しかし、この思想はしだいに孔子学苑の軸から離れようとしていた。
この動向を見た孟子は「楊朱・墨擢の言、天下に盈(み)つ」と嘆き、各地の王との問答を通しつつ、かれらに代わる思想の表明にとりくんだ。ここに登場してきたのが新たな「仁義」の提唱だった。
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思想家たちばかりではない。戦後のヤクザ映画や少年マンガ、あるいは『AKIRA』(800夜)以降の昨今のアニメ、さらにはヤンキーブームなども、実は孟子の王道と革命の割れ目を突いて噴出してきたものともいえるのである。
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