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松岡正剛の千夜千冊・1575夜
鈴木一誌
『ページと力
〜 手わざ、そしてデジタル・デザイン 〜』
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濁点は文字のアクセントを示す声点(しょうてん)の発展である。中国漢字には四声(平声・上声・去声・入声)を分ける声調がある。これをわかりやすくメモするために、漢字の四隅に声点を小さく記した。これが日本ではアクセント符号となって仮名にも振られた。声符(しょうふ)とも言った。
当初、仮名の濁音は横並び2点の「‥」であらわしていた。それが濁点として「 ゛」という複数打点になったのは戦国から徳川初期にかけてのことで、それでも地域によって2点だったり3点だったり、また小さな〇を二つ打ったりもしていた。慶長以前の伊達政宗文書では3点が打たれている。
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エドワード・タフテ(Edward Tufte)を御存知か。タフテは“情報のレオナルド・ダ・ヴィンチ”と呼ばれてきた。“データ・レオナルド”とも言う。
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タフテは、デザイナーはたんにヴィジョンを提示するだけでなく、つねに“ envisioning ”(ヴィジョンの再発行為)に徹するべきだという思想の持ち主で、プリントメディアにおける「見え」を追究した。どちらかというとハーバート・バイヤーやリチャード・ワーマン(1296夜)に近い。
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杉浦康平(981夜)の申し子の一人でもあった鈴木は、このタフテを意識した編集デサインにも挑戦してきたように思う。
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知恵蔵裁判のもつ意味は大きい。編集やデザインの権利の所在はとても曖昧だったのだ。
日本における編集権はひどいもので、1948年に日本新聞協会が出した編集権声明をずっと踏襲したままになっている。「新聞の編集方針を決定施行し、報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適性を維持するなど、新聞編集に必要な一切の管理を行う機能」という定義だ。
この定義の何が曖昧かというと、編集権(editorial rights)がどこかでメディアの所有権と交らされているところなのである。会社ごと帰属してしまうのだ。これでは「編集権の独立」(editorial independence)ははっきりしない。一人の編集デザイン権もはっきりしない。このことはウェブ時代の編集デザインのあり方としても、今後も議論が絶えないものになっていくにちがいない。
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