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とくに「風天のイエス」という見方を何の躊躇もなく入れているのが、すがすがしい。『男はつらいよ』全48作をかなり詳細に比較して、そのストーリー性や場面性を論旨に沿ってそのつどシノプシスめいた抜き書きにしてもいるのだが、その採り上げる分量も角度もよかった。
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井上ひさし(975夜)が情熱をこめて監修した『寅さん大全』(筑摩書房)では、『男はつらいよ』には主として3つの物語母型が生きているという。
一つ目は「貴種流離譚」の物語様式、二つ目は「道中記」あるいは「道行」の物語様式、三つ目は「兄と妹」にまつわる物語様式だ。ほぼ当たっていよう。
ただし貴種流離譚は英雄の流離とはあべこべの様式になっていて、貧しく支えあっている者の象徴である寅さんが流離する。そして必ずや柴又帝釈天の「とらや」に帰還して、また流れていく。ジョセフ・キャンベル(704夜)が読み解いた英雄伝説では「セパレーション(出発・旅立ち)、イニシエーション(艱難辛苦との遭遇)、リターン(原郷への帰還)」の順に話が進むけれど、まさにその逆なのだ。逆の繰り返しなのだ。
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情欲にかこつけてマドンナの体に触れるなんてことはとうていできるはずもない寅ではあろうけれど、「非接触」とはそういうことではない。「縋(すが)らない」ということなのだ。マドンナに縋(すが)らず、かつまた、これ以上は俺に縋っていちゃあいけねえよということだ。
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そのなかで本書につながる見方として、イエスの生き方は自力でも他力でもなく「共力」(ぐりき)であったのではないかというくだりがある。「共力」とはなんともいい言葉だ。本書を読みながら、寅さんもまた共力だなと思われたのである。
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