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我田引水から入るけれど、編集工学研究所のモットーは「生命に学ぶ、歴史を展く、文化と遊ぶ」というものだ。創立以来、まったく変わらない。スローガンにするほど麗々しくないが、白地のTシャツに赤で刷るには生真面目すぎるモットーだ。
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ところで、このモットーのうち「歴史を展く、文化と遊ぶ」の二つはなんとか見当つくだろうけれど、化学会社でも製薬会社でもないヘンコーケン(編工研)が「生命に学ぶ」とは何をすることなのかと訝る向きも少なくないかもしれない。むろん、立派な理由がある。
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そうであるのなら、ヘンコーケンの編集作業というもの、その原点には本来的に「生命に学ぶ」があってよかったわけだったのである。正確には「生命が創出してきたしくみ」に学ぼうというものだ。
このことをもっと端的に言いあらわしていた人物がいた。グレゴリー・ベイトソン(446夜)である。
ベイトソンは生命の来歴がその形態やしくみに刻みこまれることを「プロクロニズム」(prochronism)と名付けた。生命システムにはどのようにしてか先行する(pro)時間(chrono)が組みこまれてきたという見方だ。時間が組み込まれたということは、その履歴と、履歴にふくまれるしくみの残響とが組み込まれたということである。
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そこには、ダーウィン以前の博物学者ジョルジュ・キュヴィエや血液循環説を説いたクロード・ベルナール(175夜)以来の艶やかな生気論(vitalism)の香りも漂っている。フォン・ユクスキュル(735夜)の「生物から見た目」も動いている。これらはいずれも「在る」(being)より「成る」(becoming)を重視する思想だった。
この「在る」より「成る」に向かうということの重要性は、ドミニク・チェンもそれなりに自覚しているようで、自分の考え方が先駆的模倣論のガブリエル・タルド(1318夜)、エラン・ヴィタル説のアンリ・ベルクソン(1212夜)、貨幣と自由の相互関係を論じたゲオルク・ジンメル(1369夜)、さらにはジル・ドゥルーズ(1082夜)、キャサリン・ヘイルズ、『猿と女とサイボーグ』のダナ・ハラウェイ(1140夜)などに、どこかでつながっていることを告白していた。
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本書はそこを西垣通の基礎情報学(Fundamental Infomatics)と関連づけた。この気持ち、よくわかる。西垣はぼくがNTTの「情報文化フォーラム」の議長をしていたときの柔軟果敢なメンバーの一人で、金子郁容(1125夜)、大澤真幸(1084夜)、室井尚(422夜)とともに最も積極的な発言をしてくれていた。
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…きっとそのうち「集合知」が「心」の表象になるソフトも出てくるのだろうと思いたい。
それより、この本で最もぼくが気にいったのは「読むことは書くことである」とドミニク・チェンが気が付いたと述べていることだ。まさにそうなのだ。「読む」と「書く」とはほとんど同じ認知表現行為なのである。ただ、この二つの行為の実情がいまなお比較されていないだけなのだ。
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