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われわれはニーチェと音楽というと、ワーグナーに全身で傾倒し、そのワーグナーとあえて決別していったニーチェのことばかりをイメージするのだが、どうもそういうニーチェはニーチェの花弁にすぎず、葉身や根っこではなかったようだ。
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実際、サルトルはボリス・ヴィアン(21夜)と出会って「ジャズは未来の音楽だ」と言ったり、ニューヨークのジャズクラブに浸り、チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィス(49夜)と昵懇になったりするのをけっこう好んでいた。
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ヌーデルマンがこうした観察と思索をへて、最後に言いたかったこと、やっと思いついたのは「アリュール」(allure)というフランス語だった。
この言葉は、様子、ものごし、ふるまい、行動、態度、はやさ、歩調といったニュアンスをもっている。ヌーデルマンは途中の文中ではしばしば「フィギュール」(figure)、すなわちフィギュアという言葉をつかっていたのだが、最後の最後になって、これはアリュールというものだったと告白したのだった。
なるほど、これは少しほっとする。ぼくがイシス編集学校で一番伝えたかったことも、情報や思想や知識には「様子」があるということだった。そして、アマチュアこそが立ち上っていけるということだった。
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