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1879年(明治12)、竹添進一郎は密かに天津の李鴻章をたずね、琉球問題を穏便に処理するための対策を交わした。竹添はこのままではロシアやドイツが琉球を占領する危険があるので、清は廃琉置県を容認したほうがいいと持ち出したのだが、李鴻章は廃琉置県を撤回しないかぎり、むしろ日清の友好関係が崩れると反論した。
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琉歌の一部は藤田正の『沖縄は歌の島』(437夜)で一度とりあげた。そのときは8・8・8・6のサンパチロクのリズムの話やオキナワン・ポップスの話に終始してしまった…
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