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松岡正剛の千夜千冊・1593夜
森茂起『トラウマの発見』
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下河辺美知子の『歴史とトラウマ』(作品社)を読んでいたら、尾崎豊(136夜)の『十五の夜』の歌詞とメロディには多くの者をトラウマの誘発と沈静をまたがせる境界線が動いているというような指摘があって、興味深かった。たしかに尾崎のみならず、多くのヒットソングはトラウマ的表象性に富む。
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尾崎豊『十五の夜』は「落書きの教科書と外ばかり見てる俺/超高層ビルの上の空/届かない夢を見てる/やりばのない気持の扉破りたい」と始まり、「心のひとつも解りえない大人達をにらむ/自分の存在が何なのかさえ解らず震えている/15の夜」というふうに続く。
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なかで、柴山雅俊の『解離性障害』(ちくま新書)が「うしろに誰かいる」の精神病理の一例として、宮沢賢治(900夜)をとりあげているのが興味深かったので、以下、紹介しておく。 賢治は盛岡中学を卒業したころすでに、こんな歌を詠んでいた。「ぼんやりと脳もからだも うす白く 消え行くことの近くあるらし」。 保阪嘉内に宛てた手紙には次のようにある、「わがこの虚空のごときかなしみを見よ、私は何もしない。何もしてゐない。幽霊が時々私をあやつって裏の畑の青虫を五疋拾はせる。どこかの人と空虚なはなしをさせる。正に私はきちがいである。諸君よ。諸君よ。私のやうにみつめてばかりゐるとこの様なきちがいになるぞ。」。
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