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松岡正剛の千夜千冊・1600夜

松岡正剛の千夜千冊・1600夜
リヒャルト・ワーグナー『ニーベルングの指環』
 はたしてワーグナーは革命家だったのか。それとも革命に挫折した者なのか。
 1848年2月、シチリアでおこった暴動の波がパリに届いて二月革命になって、国王ルイ・フィリップが追放された。この余波がドレスデンにも届いたのである。ワーグナーはちょうど『ローエングリン』を手掛けていて、オーケストレーションにおいてワーグナー独特のアーティキュレーションをつくりあげていた。
 ワーグナーは自分を驚かすものにめっぽう弱い。粗野でごつごつとして、しかし「神と国家」のことしかアタマにないバクーニンは、ワーグナーを揺さぶるにふさわしい男だった。
 バウムガルトナーはワーグナーにフォイエルバッハの『死と不死についての考察』を薦めたようだ。すでにプルードンの『貧困の哲学』を読んでいたワーグナーは、これらからヒントを得て『芸術と革命』『未来の芸術作品』を書いた。
 白川静(987夜)に『孔子伝』がある。そこに、孔子は「狂簡の徒」を愛したのではないかというくだりが出てくる。「狂簡」とはその文字づらに反して「志が高いこと」をあらわす。
 「狂」とは王がいよいよ出行するにあたって、鉞の頭部によって人々に慰霊を与え、それによって途中で遭遇するかもしれない邪悪を匡救(きょうきゅう)するという意味なのだ。
 つまり、「狂」こそは「聖」に匹敵する直前の姿や行為や意志を示すものなのである。ワーグナーもルートヴィヒも、この「聖」と「狂」のせめぎあうぎりぎりの「世界意志」にかかわっていた。 
ワーグナーがアルトゥール・ショーペンハウアー(1164夜)の『意志と表象としての世界』を読んだのは1854年のことで、41歳のときだ。ゲオルグ・ヘルヴェークに薦められた。大いに共感した。
 「呪われた者」によってしか世界は救済できないのだという、この戦慄的なテーマは、必ずしもショーペンハウアーの「ミットラント・ペシミズム」だけから出所したものではない。ワーグナー独自の洞察も十分に感じるし、さらに言うのなら、のちのちレヴィ=ストロース(317夜)が世界中の神話は「ブリコラージュ」(修繕)されていくと言った、その修繕力(つまりは世界編集力)に富んでいるとも感じる。
 また一説には、ワーグナーのムジーク・ドラマには、これもショーペンハウアーから示唆を受けた仏教の「輪廻」と「業」と「一切皆苦」からのヒントを折り込んでいるとも言われるが、ぼくの見方ではそこまでの徹底は感じない。







リヒャルト・ワーグナー Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リヒャルト・ワーグナー