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松岡正剛の千夜千冊・1606夜

松岡正剛の千夜千冊・1606夜
安西祐一郎『心と脳』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1606.html

 知識がどういうものかについては、プラトン(799夜)やアリストテレス(291夜)このかた、また老子(1278夜)や荘子(726夜)以来、さまざまな議論をへてその実態があきらかにされようとしてきた。

 しかしながら、知覚や想起や行為という動的な認知活動にとって知識や知識群がどういうふうにかかわっているのかということを説明しようとすると、分類知では補えない新たな掴まえ方が必要になる。

 こうした知識の認知科学化にあっては、バートレット、ストープル、マッカーシー、サイモン、シャンク(535夜)、ミンスキー、パパートらが果敢にこの課題に取り組んだ。

 今日のデジタルコンピュータにあっては、情報はいくらでもデータとして収納しておける。しかし、その情報を知識として適確に取り出したり、そのことによって目標を完遂するのに役立たせようとすると(ロボットがまさにその役割をもつのだが)、知識のシステム化にはさまざまな「知識をのせるお盆」が欠かせない。
 これらをバートレットやミンスキーは「スキーマ」というお盆、そのスキーマを乗せる「フレーム」というお盆、それらをつないだり見守ったりする「エージェント」というふうに、“載せ替え”可能なもので組み立てた。まことにうまい分け持たせ方だった。