松岡正剛の千夜千冊・1810夜
木内堯央
『最澄と天台教団』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1810.html
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奈良博の《久隔帖(きゅうかくじょう)》を今井凌雪さんと見た。NHKの書道講座をお手伝いしていたころだ。尺牘(せきとく)は「久隔清音 馳恋無極傳承 安和且慰下情」と始まる。
いつものことながら、すぐに「恋無極」の字配りに目が吸い込まれていく。王羲之(おおぎし)の《集字聖教序》が見せる勁(つよ)いけれども懐ろが柔らかい間架結構が、最澄の書では端正なストロークやピッチに転じて律義になっている。そんな感想を呟くと、今井さんは「いやあ、伝教大師の書は王羲之より誠実ですよ。懸命ですよ」とボソッと洩した。
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空海から最澄に宛てた尺牘のほうは《風信帖(ふうしんじょう)》として、これまた世に名高い。3通ある。ぼくも昔は少々ながら臨模した。
弘仁3年(812)、最澄は空海に天台智顗(ちぎ)の『摩訶止観』を送り、そのとき添えた手紙に比叡の堂宇に遊びにきてくださいと書いたのだが(この尺牘は残っていない)、空海は丁寧に『摩訶止観』のお礼を述べ、いまそちら(一乗止観院=比叡山寺、のちの延暦寺)には都合が悪くて伺えないけれど、近いうち互いに仏道の根本を語りあって仏恩に報いたいものですと返信した。これが《風信帖》の1通目で、このときの空海の書は「風」や「恵」の字が王羲之の《蘭亭序》そっくりで、そこに運筆の速さを感じさせる。
2通目は最澄がお香などを送ったことへの返礼である。最近は忙しいけれど法要がおわったら、あなたの送ってきた左衛士(さえじ)の督(かみ)の手紙を読みますというもの、書風は覇気に充ちている。3通目は空海から最澄にお香などを送ったこと、『仁王経』を借りたいというお申し越しについては、いまは別用で使っているので後日お貸ししましょうということなどを綴る。こちらは鮮やかな草体を見せている。
最澄の律義と一途、それに対する空海の応接の翩翻。二人の書風はどちらも王羲之を手本としていながらも、まったく異なっている。最澄が端正で律義な書であるのにくらべると、空海はそのつど変化変容する。この対照ぶりに、平安仏教以降の動向を決してみせた二人のすべてがあらわれている。
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最澄にはどうしても生前に成就したかったことがあった。大乗戒のための戒壇院を造立すること、そのための専門の大乗寺を創建すること、その大乗戒を受けた未来の学生たちが挑むべき「忘己利他(もうこりた)」のルールブックをつくること、このことだ。
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忘己利他【参考リンク】一隅を照らす → https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=26