松岡正剛の千夜千冊・38夜
トルーマン・カポーティ
『遠い声・遠い部屋』
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このような、親戚をたらいまわしにあずけられた少年の心境は、おそらくはびくびくしたものになる。そのくせ、大人の世界に対しては鋭くも深い。こうして傷つきやすい観察が芽生えていく。その「あわい」がたまらない。まさにカポーティがそういう少年だったのである。
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そのようなネオテニーな少年の目 ( 1072夜 ) で眺められた世界をどう描くのか。
カポーティはそこがうまかった。「どんよりと曇った日だった。空は雨に濡れたブリキ屋根のようで、やっと姿を見せた太陽は魚の腹のように青白かった」というふうになる。
こういう描写は随所にあらわれる。いわばそれらは、成長にとどめを刺したい少年 ( 827夜 ) の、フラジャイルな心の文字で綴られた「電気で濡れた文体」なのである。英文では頭韻や脚韻さえ踏んでいた。
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