松岡正剛の千夜千冊・110夜
レイ・ブラッドベリ
『華氏451度』
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書物を描いた書物には、ステファヌ・マラルメ ( 966夜 ) このかた執念のようなものが宿っている。
モーリス・ブランショ、ホルヘ・ルイス・ボルヘス ( 552夜 ) 、ロレンス・ダレル ( 745夜 ) 、アンリ=ジャン・マルタン ( 1018夜 ) 、ウンベルト・エーコ ( 241夜 ) など、かれらの軒並みの書物思想は、書物の神話を確信して書物の将来に加担した人間の宿命のようなものを、黒々と描いてきた。
ブラッドベリはどうか。ブラッドベリ自身が書いた『ブラッドベリがやってくる』(晶文社)によれば、彼もまたたいへんな書痴であり、図書館狂いの性癖をもっている。そうでなければ、書物が自然発火する温度である華氏451度(摂氏220度)なんぞに着目するはずはない。
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本書は、このような普遍的な禁書・焚書の問題を、ブラッドベリが当時のアメリカに吹き荒れていたある忌まわしい現象にプロテストして書いた。
その忌まわしい現象というのはマッカーシズム、すなわち“赤狩り”である。ブラッドベリはマルキストでも ( 789夜 ) そのシンパでもなかったが、社会の成り立ちとしてマッカーシズムの暴挙がとうてい許せない。誰が思想などを検閲できるのか。誰が書物を禁止できるのか。ブラッドベリはそのことをSF的ステージにのせて綴るにはどうするか、それを考えて『華氏451度』を構想していった。そのとき浮かんだのが怖るべき「書物の自然発火点」というアイディアだったのである。
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こうして誰もが書物を読まなくなってきた。そのかわり、その世界の“国民”たちには、耳にぴったりはめこむことのできる超小型ラジオ「海の貝」( 744夜 ) が支給され、どこへ行くときもそこから流れる情報を浴びせられていた。また、家に帰れば帰ったで、部屋の中では巨大なテレビスクリーンが装置されて、たとえ一冊の書物がなくともこれを四六時中眺めていればじゅうぶんに幸福になれるように仕組まれていた。
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ところがある日、ふとしたことからモンターグは、この焚書システムの逆鱗にふれるような秘密をもってしまうことになる。焚書担当官が読書にめざめてしまったのだ。
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これはなんでもないことのようだが、その世界では怖ろしいことなのである。なにしろ書物から知識を得るなんてとんでもないことなのだ。しかし、モンターグはその世界に残っている最後の一冊ともいうべき『聖書』( 487夜 ) にも出会い、世の中にはものの本質というものがいくらでも詰まっていて、書物というのはその本質や核心に迫るための“気孔”のようなものだということを知る。
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…『マタイ伝』や『ヨハネ伝』もいるし、科学が得意な男はアインシュタイン化 ( 570夜 ) し、いかにも無抵抗主義者のように見える男はマハトマ・ガンジー化 ( 266夜 ) しているようなのだ。かれらは生死を賭けて書物になった連中なのである。いわば生きた本の語り部である。
こうして話は、結局は古代の文字がなかった時代のオラル・コミュニケーション世界に回帰する ( 666夜 ) 。最後にこの話がどうなるかは伏せておくが、ブラッドベリは書物を殺した帝国に対し ( 1084夜 ) て、人間の生きた記憶をもって復讐したことになる。まさにボルヘスの「記憶の人フネスの国」の再来だった。
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