松岡正剛の千夜千冊・158夜
藤原公任撰
『和漢朗詠集』
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詞華集とはアンソロジーのことをいう。アンソロジーでは編集の技量がそうとうに問われる。何を選ぶかだけが重要なのではない。その按配をどうするか。内容で選ぶか、作者で選ぶか。主題のバランスをどうするか。男女の作者の比率はこれでいいか。長短をどうするか。巧拙をどこで見るか。有名無名をどうするか。これらのいずれにも十全な配慮が問われる。
しかも、『和漢朗詠集』は和漢の秀れた詩歌を此彼の文化表現にまたがって、かつ同時に選んで見せるという編集である。漢詩から詩句を選び、そこに和歌をもってくる。和歌を選んで、そのあいだに漢詩を入れる。そのような作業と工夫に当時の日本の編集思想が出ないはずはない。
こういうことをやっと終えたとしても、さらにこれらをどう並べるか、さてレイアウトをどうするかが待っている。とくに順番が難しい。
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まず料紙が凝っている。紅・藍・黄・茶の薄めの唐紙に雲母引きの唐花文をさらに刷りこんだ。行成の手はさすがに華麗で、変容の極みを尽くした。漢詩は楷書・行書・草書を交ぜ書きにした。和歌は得意の行成流の草仮名である。これが交互に、息を呑むほど巧みに並んでいる。
部立ては上巻(上帖)を春夏秋冬の順にして、それぞれ春21、夏12、秋24、冬9を配当した。たとえば冬は「初冬・冬夜・歳暮・炉火・霜・雪・氷付春氷・霰・仏名」と並ぶ。つまり時間の推移を追った。いわば「うつろひ」の巻、月次の巻である。これに対して下巻すなわち下帖は、もっと自由に組んだ。その構成感覚がうまかった。「風・雲・松・猿・古京・眺望・祝‥」といったイメージ・アイコンが48主題にわたって並ぶ。最後はよくよく考えてのことだろうが、「無常」( 85夜 )「白」である。すべてが真っ白になってしまうのだ。なかなか憎い。
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漢詩は白楽天(白居易)が断然に多い。135も入っている。ところが李白と杜甫が一つずつしか入っていない。全体には中唐・晩唐の漢詩人から選んでいるので、公任がよほど李白・杜甫を嫌ったということになる。これは実は当時の風潮でもある。中西進さんが快著『源氏物語と白楽天』で詳述した ( 522夜 ) ように、当時は白楽天がビートルズのように日本を席巻していた。日本人の漢詩ではさすがに菅原文時・菅原道真がトップで選ばれている。
この「好み」は紫式部に近くて、和泉式部 ( 285夜 ) に遠い。公任だけではなく、この当時の一派の「好み」なのである。先の中西進の『源氏物語と白楽天』、および大岡信の『うたげと孤心』や丸谷才一 ( 9夜 ) の『詞華集的人間』などを読むと、このへんの見当がつく。
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いったいこうした方法感覚がどこから出てきたかということはここでは省略するが、その背景には日本文化の確立には中国から漢字や律令を導入せざるをえなかったということが大きな原因になっていることだけは指摘しておきたい。ともかくもまずは中国のシステムを入れ、これをフィルタリングして、一部をゆっくり日本化し、それが確立できたところで、元の中国システムと日本システムを対照的に並列させる。
こういう方法が古代すでに確立していたのである。確立したのは天智・天武の時代であった。この編集方法はいろいろな場面にあらわれる。政治と立法の舞台の大極殿を瓦葺の石造りの中国風にし、生活の舞台の清涼殿などを檜皮葺で白木造りの寝殿にするというのも、その例である。もっと象徴的なのが『古今集』に真名序と仮名序を配したことだった。
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