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松岡正剛の千夜千冊・161夜

松岡正剛の千夜千冊・161夜
ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/0161.html
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 男にも条件がある。そのような少女に劣情を抱くことが自分の存在の内奥を疼かせるということ、しかもその劣情を抱いていることが羞かしくも正当であると強く思いたがること、これである。
 こういう男をうまくキャラタライズするために、ナボコフはハンバートを“しがない学者”に設定し、しかも『ベンジャミン・ベイリーに宛てたキーツの書簡のなかのプルースト的主題』という、いかにもありそうな研究論文を書かせた。まさにロリータに惚れそうな怪しい先生である。

 アメリカではイサカのコーネル大学でロシア文学の教鞭をとる。若いアメリカの男女にロシア文学の伝統、それもニコライ・ゴーゴリに代表される「化石都市と生身人間の壮大きわまりない対立と融和」を説くのは、並大抵のことではなかった。ナボコフはこの退屈な挑戦を癒すために、蝶を採りまくる。

 こういう背景をもったナボコフの『ロリータ』は、ナボコフの狙い通りというべきか、たちまち「老いたロシアによる若いアメリカのたらしこみ」とまで騒がれた。
 反米的であるとも揶揄された。アメリカはどんな国の民族に対しても、自分の国の病気の原因を押し付ける。
 たとえば、これは1980年代のことであるが、アメリカの大学が荒廃し、学生の知力が落ちてきたときに、「アメリカの大学はドイツン・コネクションによって腐敗した」(1047夜)とまことしやかに言われたものだった。ドイツン・コネクションとはマルクスニーチェ、フロイトらが撒き散らした“反道徳思想”のことらしい。
 ところが、これはぼくの憶測でしかないが、アメリカ人はロシア文化やロシア思想というものにどのようにケチをつけたらいいか、どうもわかっていない。そこでロシアの本質にメスを入れられず、せいぜい反米的であるという不満をぶちまける。ナボコフはまんまと顰蹙を買わせたのであった。

 では、われわれはどうなのか。てっきりロリータ・コンプレックスがあると思いこんだわけである。日本人でロリコンという言葉を知らない者はいないといっていいくらいであろう。
 ナボコフは自分がいちばん嫌いなフロイト主義の解釈に、自分の読者の大半を追いこんだのだった。とくに日本のおじさんを。まったく、ウラジミール・ナボコフは厄介な人である。