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松岡正剛の千夜千冊・385夜

松岡正剛の千夜千冊・385夜
山岡鉄舟
『剣禅話』
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 鉄舟に「武士道」という万延元年に書いた文章がある。本書にも入っている。
 「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ」とあって、鉄舟が初めて武士道という言葉をつくったか、あるいは初めて注目したということが宣言されている。
 さらに滴水は「両刃の公案」を与えた。「両刃、鋒を交えて避くるを須(もち)いず、好手還りて火裏の蓮に同じ。宛然おのずから衝天の気あり」というものである。これも鉄舟は抱えた。そして、45歳でようやく大悟した。そこから悠々と禅の本来に入っていった。
 そうなったのには、大きな契機があった。有名な話だが、浅利又七郎と手合わせをしてまったく勝てなかった。浅利は伊藤一刀斎の剣法を継承する明眼の達人で、鉄舟はその浅利に何度手合わせしても自分の未熟を知るだけだった。完敗なのである。 
「世人剣法を修むるの要は、恐らくは敵を切らんが為めの思ひなるべし。余の剣法を修むるや然らず。余は此法の呼吸に於て神妙の理に悟入せんと欲するにあり」。