松岡正剛の千夜千冊・437夜
藤田正
『沖縄は歌の島』
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折口信夫 ( 143夜 ) に『月しろの旗』という長い創作歌謡がある。折口流のオモロともいえるし、琉球的古典前衛詩といったほうがいいかもしれない。「藩王第一世尚氏父子琉球入りの歌」と副題がつく。
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藤田正はこの唄に「万物が満ちる直前に美を求めている」と書いて、そこに『かぎやで風節』に通じる琉歌を嗅ぎとっていた。
祝いの席に欠かせない「カジヤデフー」は、三線(さんしん)がまことにフラジャイルで、もっと高度で難曲だといわれる『十七八節』にくらべると、たしかにやや甘いけれど、それでもぞんぶんに琉歌の本質を告げている。きっとこれが、かの伝説の赤犬子が唄っていたオモロから生まれた琉歌というものなのだろう。
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1978年くらいのことだったとおもうのだが、田中泯や木幡和枝とハイパーダンス・プロジェクトという長期にわたる仕事をしているとき、上京中の喜納昌吉と一夜を遊んで、ナマの沖縄の声、ナマの沖縄の三線というものが、たんなる音楽なのではなく、その場の体と関係があることを初めて知った。
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けれども、こと沖縄に育った魂にとっては、そのような仕打ちが琉球列島に鬱屈しつづけたエネルギーを音楽に転化させていったともいえた。東恩納寛惇が校閲した山入端つるの『三味線放浪記』によると、多くの遊女がひどい生活をしながらも、けっして三線を手放さなかった ( 669夜 ) という。
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