松岡正剛の千夜千冊・446夜
グレゴリー・ベイトソン
『精神の生態学』
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精神とはどういうものかということは、古来このかた決定的な回答がひとつとしてなかった積年の未解決問題である。その逆に、ものすごくたくさんの回答例が提出されつづけた過飽和問題ともいえる。
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では、この「感じ」とはいったい何かということだ。
バトラーやホワイトヘッド(第995夜『過程と現実』)は、生命をもったシステムにはどんな変化にもかかわらず持続される「かたち」というものがあるという言い方で、この「感じ」の正体を暗示した。「もの」よりも「かたち」のほうが本質的なものを残しているとみなしたわけである。別の言い方をすれば、物質が寄り集まって形態と機能をつくっていく再現能力に、何かの正体があるのではないかと考えたわけだ。これは物質主義を一歩離脱したことにあたる。しかし、はたして「かたち」とは何なのか。われわれが知っている「かたち」が表沙汰ではないとしたら、何か“内沙汰”があるはずだった。
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ついで当時の妻のマーガレット・ミードと一緒にバリ島を調査した。まだ知識人の誰ひとりとしてバリ島などに行ったことがない時代だ。そのあと戦争に突入してからは、アメリカ戦略隊本部に勤めてサイバネティクス(第867夜)とベルタランフィ(第521夜)のシステム理論を研究した。
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…その研究の意図は1951年に発表された『コミュニケーション:精神医学の社会的マトリックス』にも如実なのだが、心身におこっていることをプロセスの変化を伴うシステムとしてとらえ、そこにときおり介在する「フィードバック」という陥入型の相互作用に注目してみるというもので、ここから心理学上に有名な「ダブルバインド理論」が仮説された。
ここでベイトソンは、何がシステムにフィードバックされているのかを考える。「感じ」の正体はきっとフィードバックを伴うシステムのふるまいに関連しているとみなしたのだ。
このあとジョン・C・リリー(第207夜『意識の中心』参照)に声をかけられたベイトソンは、…
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ベイトソンが三段階の学習仮説によって何を言おうとしているかははっきりしている。あるシステムにおける情報の出入りのしかたを問題にしたわけで、今日の言葉でいえば、システムと情報の「関係」を主題にしたかったのである。いや主題ではない、「関係」を主語にし、「情報」を述語にしたかったのだ。
そもそもベイトソンは情報理論の先駆者でもあった。なかでも、情報がシステムにフィードバックされるしくみに関心をもった。そのうえで、一個の情報とは「違いを生む違い」(a difference which makes a difference)であることをつきとめた。
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ダブルバインド Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダブルバインド