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松岡正剛の千夜千冊・511夜

松岡正剛の千夜千冊・511夜
長山靖生
『偽史冒険世界』
 キムタカとよばれた男がいた。キムタクではない。キムタカ。信じがたい人物である。木村鷹太郎という。
 愛媛県宇和島に生まれ、明治21年に上京して明治学院に入って島崎藤村・戸川秋骨らと同級生となり、英語弁論大会で一等になったものの、言動にすこぶる異様なものがあってヘボン校長から退校処分をくらった。
 陸軍士官学校の英語教授の職をえたが、ここでもあまりに学校との意見があわずにすぐ辞めている。そのかわり、英語力をいかしてバイロンを翻訳し、英語からの重訳ではあったが、一人で日本初の『プラトーン全集』個人完訳にとりくんだりもした。こういう"偉業"に平気でとりくむところは評判がよく、岩野泡鳴と文芸批評にあたったり、与謝野鉄幹・晶子の媒酌人になったりもした。井上哲次郎もそういう木村を支援する。
 ところがキムタカは、明治44年に発表した『世界的研究に基づける日本太古史』という大著で、ついにとんでもないことを言い出したのである。
 イザナギとゼウスを、オオクニヌシとダビデを、タケイカヅチとモーゼを比べ、高天原をアルメニアに、出雲大社をメコン川流域に比定し、神武天皇の東征はアフリカ西海岸からの発信だったとしたばかりか、大半の世界文明は日本が起源であるという破天荒な妄想を一挙に披露したのだった。
 本書の著者の長山靖生は、このようなキムタカの暴挙に呆れながらも、こうしたカルト的な歴史観にとりあえずは"空想史学"といううまい呼称をつけている。キムタカ自身は自分の歴史観を「新史学」と言った。
 たとえば、「ジンギスカンは義経のことだった」という説を唱えた小谷部全一郎がいる。バカバカしい説だが、その著書には杉浦重剛が重厚な漢文の序を寄せていて、あまりにこの説が世間の話題になったため金田一京助・三宅雪嶺・鳥居龍蔵らが躍起になって反論したもののブームが収まらなかったほどなのである。
 その小谷部全一郎は貧困に生まれながら自力で放浪して北海道に辿りつき、アイヌのコタンに身を寄せ、さらにアメリカに渡ってエール大学を卒業、10年におよぶアメリカ滞在をへて明治31年に帰国してからは横浜紅葉坂教会で牧師をつとめたのちに北海道洞爺湖近くに移住し、日本で初めてのアイヌ人のための実業学校を設立した人物でもあった。また、昭和に入っては『日本及日本人之起源』を書いて、のちに有名になった「日本人=ユダヤ人同祖説」を唱えた張本人でもあった。
 本書は「偽史」を扱ってはいるが、一方では歴史そのものを扱っている。偽史と正史は紙一重。というよりも正史を拓くには偽史にも勝る矛盾と葛藤を呑みこんでいかなければならない。
 そういうことは、どんな断面からもその気になれば学ぶことができるのであるが、これまでの「千夜千冊」でいうなら、たとえば第109夜の『神風と悪党の世紀』、第93夜の『権藤成卿』、第378夜の『仮城の昭和史』、第304夜の『乱の王女』、第294夜の『謎の神代文字』、さらには第56夜のカルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』や第165夜の金子光晴『絶望の精神史』などを重ねて読まれると、きっと何かがはっきりレリーフされてくるとおもう。