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松岡正剛の千夜千冊・550夜

松岡正剛の千夜千冊・550夜
臨済義玄・慧然
『臨済録』
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 いま、本書を一人の人間の活力をめぐった編集書として紹介しようとおもう。禅の公案を集めたものとは読まない。
 正式な書名は『鎮州臨済慧照禅師語録』である。語録と銘打ってはいるが、臨済の生涯の言行を凝縮し「上堂・示衆・勘弁・行録」の4軸に集約した。それに馬防による衝撃的な序と、要訣な塔記が付いている。
 何に断乎かといえば、むろん弟子の雲水たちに断乎たる態度で臨んでいる。自信不及をつねに叱咤する。ようするに弟子を鍛えるにあたって、その自信のなさを問題にした。「わしがこのようにしているのに、なぜおまえたちはそれだけで自信にならないのか」と詰め寄った。
 これは、実のところは「おまえたちは、そのままで一挙に禅者であるはずだ」という激励だった。そこに臨済の得力(とくりき)の心があった。得力とは「おかげさま」という意味である。
 そのように"求める存在"(子)が"待つ存在"(師)に接したというだけでも禅者となりうる可能性のことを、臨済の禅林ではしばしば「無依の道人」の可能性という。あるいは修行者がそもそもそのような覚醒しうる存在であるはずだという可能性を「無位の真人」ともいった。