スキップしてメイン コンテンツに移動

松岡正剛の千夜千冊・564夜

松岡正剛の千夜千冊・564夜
丸山真男
『忠誠と反逆』
 丸山真男嫌いだった。
 きっと何も掴めていなかったのだろう。
 そこへもってきて吉本隆明 ( 89夜 ) が当時書きおろしたナショナリズム論において丸山をこっぴどく批判した。
 こんなことが手伝って、丸山アレルギーが出た。
 それがいつしか少しずつぐらついてきた。
 これは勘であって、実体験ではない。自分(松岡正剛)が丸山真男という果実を省いてきたこと(排除してきたこと)、そのことがいささか気になってきたというのが正直なところで、こういう勘はときどき動くものである。ミシェル・フーコー ( 545夜 ) が雑談のなかで「そういえば丸山真男という人はものすごい人だった」という感想を洩らしたのもひとつのきっかけだったが(フーコーは来日した折に丸山を訪ねていた)、ぼくが少しずつ日本の近代を考えるようになったことが大きかったのであろう。
 で、『忠誠と反逆』である。
 本書では、丸山の思想のセンサーが動こうとしているところがよく見えた。
 それが「日本思想史における問答体の系譜」「歴史意識の古層」で、俄然、光と闇の綾が眩しくなってくる。
 「問答体」のほうは、最澄『決権実論』と空海『三教指帰』 ( 750夜 ) を劈頭において、日本思想にとって「決疑」とは疑問に応えることだったという視軸にそって、夢窓疎石の『夢中問答集』 ( 187夜 ) 、ファビアン不干斎の『妙貞問答』などにふれつつ、最終的には中江兆民 ( 405夜 ) の『三酔人経綸問答』にこの方法が近代的に結実していたことをあきらかにしたもの、丸山が「方法」に異様な関心をもっていたことがよく見てとれる。
 しかし、もっと炎のようにめらめらと“方法のセンサー”が動いているのは論文「歴史の古層」のほうである。
 本居宣長が注目したのも「なる」である。
 『古事記伝』のその箇所を整理すると、宣長は「なる」には3つの意味があるとした。(1)「無かりしものの生(な)り出る」という意味(神の成り坐すこと=be born)、(2)「此のものの変はりて彼のものになる」という意味(be transformed)、(3)「作す事の成り終る」(be completed)という意味、である。 
 宣長にとって、「つぎ」はむろん「次」を示す言葉であるが、同時に「なる」を次々に「継ぐ」ための言葉なのである。
 ついで丸山は古代語の「なる」「つぎ」が中世近世では「いきおひ」(勢)にまで及ぶことを知る。しかも「いきおひ」をもつことが「徳」とみなされていたことを知る。どのように知ったかというと、徳があるものが勢いを得るのではなくて、何かの「いきおひ」を見た者が「徳」をもつのである。
 こうしてついに丸山は、「いつ」(稜威)という機能がそもそもの過去のどこかに胚胎していたのであろうことを、突きとめる。
 「いつ」は、ぼくが第483夜の山本健吉『いのちとかたち』において、ひそかに、しかし象徴的に持ち出しておいた超重要な概念である。
 論文を読むかぎり、丸山が「いつ」を正確に捕捉しているとはおもえない。しかし、「いつ」こそが歴史の古層に眠る独自の観念であることには十分気がついている。「なる」「つぐ」「いきおひ」は大過去における「いつ」の発生によって約束されていたわけなのだ。