松岡正剛の千夜千冊・575夜
緒方竹虎
『人間中野正剛』
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明治19年(1886)、世は鹿鳴館華やかなりし時代、正剛は福岡西湊の黒田藩の船頭方に生まれた。近くに同郷の貝原益軒が愛した山容が望めた。
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早稲田卒業後、正剛は日報社入社後に、朝日新聞の記者となる。竹虎も朝日に入った(のちに政治部長・編集局長・副社長)。そのころの主筆は池辺三山で、夏目漱石が『虞美人草』と『三四郎』を東西の朝日に連載していた。漱石の月給200円、正剛が60円。桐生悠々はそのころの正剛を「紋付袴で出社し、覇気横溢、犬養木堂を崇拝していた」と書いている。
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