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松岡正剛の千夜千冊・578夜

松岡正剛の千夜千冊・578夜
群ようこ
『あなたみたいな明治の女』
 福田英子。慶応元年(1865)、森峰子と同じ岡山藩の生まれ。本名は景山英子。本書に登場する8人の女のなかでも最も巨きな度量の持ち主だろう。
そこに年下の石川三四郎が手を差し伸べ、二人は幸徳秋水の平民社および内村鑑三に接近、明治40年に独力で「世界婦人」を創刊する。
 木内キヤウ。淡島寒月の娘。だから浅草に育った。
キヤウを婦人運動と教育に走らせたのは、昭和3年にハワイで汎太平洋婦人会議に出席することになってからである。日本からはキヤウを含めて6人の女先生が参加した。
 宮田文子。明治21年、四国松山生まれ。この人は絵のような美人で、かつ妖しくて、不思議である。
文子自身も自叙伝にこう書いた、「私はハッキリいって、辛抱が嫌い、というよりもちっともできない人間です。だからこそいろいろと数奇な運命をたどることになったのです」。
 富本一枝。明治26年(1893)生まれ。尾竹越堂の娘。ということは、第569夜で紹介した蕗谷紅児が日本画を習った尾竹三兄弟の血をひく女ということで、実際にも女子美術学校のころから女流天才画家と評判された。
 しかし、一枝は尾竹紅吉としての、また富本憲吉の妻としてのほうが有名である。
 著者もしるしているように、一枝は晩年に『お母さんが読んで聞かせるお話』にとりくむ。「暮しの手帖」や「グッドハウスキーピング」に13年にわたって連載されたもので、まことに胸を打つ選書と語り口に富んでいた。
 高群逸枝。小学校の校長の娘である。明治27年(1894)生まれ。
 しかし、著者はそのような日本フェミニズムのルーツのような女性が『愛鶏日記』を書いていたことを発見して、その日々に関心をもつ。昭和25年、夫婦はヒヨコを飼うことにした。タンパク質を卵で補給するためだったが、なぜかブーコと名付けた。