松岡正剛の千夜千冊・761夜
武智鉄二
『伝統演劇の発想』
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先代坂東三津五郎の話では、九代目団十郎の『勧進帳』の六法でやはり団十郎の手がどこから出たかわからなかったことがあるという。武智鉄二は、なるほど名人には「不可知なるもの」が秘められているのか ( 510夜 ) と唸った。
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しかし武智鉄二が型破りの前衛的な演劇や芸能にばかり挑戦していたというのは、誤りである。むしろ本来の「型」を追い求め、本物の名人によってしか芸術芸能の再生は不可能であることを訴えていた。そのために当時の松緑・幸四郎・勘三郎にそうとうにきつい文句をつけていた。また、日本人の体にひそむ「芸」のしくみを探索するために、あえて伝統の根元に革新の翼をつけて、民主主義な観客の平和ボケ ( 246夜 ) と家元官僚主義に陥る伝統芸能社会の傲慢 ( 585夜 ) を横殴りした。そこには、どこか魯山人 ( 47夜 ) に通じるものがあった。
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また、ナンバや摺り足や六法の起源を調べ、三味線のウキとサワリの関係に深入りし、ときにモドリは「悖り」(モトリ)であろうとか、ワルミ(悪み)は「割り身」、「オカシ」は「岡師」であろうというような、国語学者や芸能史家が首をかしげるような仮説にも、つねに敢然ととりくんでいた。
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武智は一貫して、歌舞伎を「傾き」という言葉の由来だけで説明するのはかなり無理があって、むしろ佐渡のゴールドラッシュと名古屋山三という「かぶきもの」の登場 ( 152夜 ) によって説明すべきだと考えていた。阿国 ( 325夜 ) についても、出雲の巫女と結びつけるより、石見のシルバーラッシュを背景に見た。
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こうして武智は、セリフは話し言葉に近く、間は音楽的なままに組み立てられていった ( 642夜 ) 歌舞伎の細部に介入していったのだった。いま、このような視点で「つめ字・つめ息・つめ詞」を、「間づめ・仮名づめ」を語れる者はほとんどいなくなった。
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ただ武智はその勢いで、そのころの役者たちの大半をその鋭い歯牙でズタズタにしていった。先代幸四郎のセリフを水調子だと断罪し、松緑の体の動きにはコミがないとばっさり切った。九朗右衛門の梅王丸など、史上最低の梅王とさえ言われた。いまの吉右衛門には腰が浮いている、体の回転ができていないとさんざんな文句をつけた(その後の吉右衛門がそうした欠陥を克服したことはよく知られていよう)。
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