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松岡正剛の千夜千冊・883夜

松岡正剛の千夜千冊・883夜
フィリップ・K・ディック
『ヴァリス』
 ブライアン・オールディス ( 538夜 ) は早々と「ディックとバラードだけが読むに足る作品を書いている」と選んでみせた。アーシュラ・ル・グインは「わが国のボルヘス ( 552夜 ) 」という、グインにとっての最大級の賛辞をつかった。ティモシー・リアリーはディックを20世紀をとびこえて「21世紀の大作家」と名付け、さらには「量子時代の創作哲学者」 ( 768夜 ) と褒めちぎった。ジャン・ボードリヤール ( 639夜 ) は「現代の最も偉大な実験作家である」と書いた。
 アート・スピーゲルマンは「20世紀前半におけるフランツ・カフカ ( 64夜 ) と20世紀後半におけるフィリップ・K・ディックは同じように重要である」と言った。きっと1963年にヒューゴー賞を受けた『高い城の男』を読んだのだろう。あれは哲学的迷路というものが初めて稠密なSFになった ( 110夜 ) 記念碑だ。舞台は第2次世界大戦後にアメリカの西部が日本によって、東部がドイツによって分割統治されるという、とんでもない設定のネーベンヴェルト(パラレルワールド) ( 418夜 ) になっていた。
Vast Active Living Intelligence System。
 これが“VALIS”の正式名称である。本書を訳した大滝啓裕の訳以来、「巨大にして能動的な生ける情報システム」と訳されているヴァリス。ディックのボルヘスふうの知的トリックだが、架空の『大ソビエト事典』第6版には、次の説明があるという。「巨大にして能動的な生ける情報システム。アメリカの映画より。自動的な自己追跡をする負のエントロピーの渦動が形成され、みずからの環境を漸進的に情報の配置に包摂かつ編入する傾向をもつ、現実場における摂動。擬似意識、目的、知性、成長、環動的首尾一貫性を特徴とする」。
 小説『ヴァリス』のなかではこの名は、これまたディック得意の仕掛けによって、同名のSF映画として登場する。
 だいたい小説『ヴァリス』そのものが多重の構造というよりも、多重の構想が錯綜して、こう言っていいなら、古代から未来をさえ引き取って進む ( 774夜 ) 。要約はほとんど不可能に近い。
 いまではディックのファンにはすっかりお馴染みになった「2-3-74」は、1974年2月から3月にかけて、ディックが不気味で異様な夢や幻覚や音声に見舞われた ( 132夜 ) ときの体験を示す符号である。ディックはこのときフィボナッチ数列の光の放列の奥にグノーシス的な叡知のときめきを感じた。
 この「2-3-74」体験をへて、ディックは数年間にわたってグノーシス主義やクムラン宗団 ( 174夜 ) の文献を読み、その周辺を探索し、そしてついに『ヴァリス』を書いたのであろうとおもわれる。執筆は1980年に突入していた。続けて『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』を発表した。これが“ヴァリス三部作”である。
 ぼくが『ヴァリス』を読んだのは、翻訳が出てまだ数日もたっていなかったころである。一読、三分の一ほど進んだところで、なんと「エントロピー ( 368夜 ) による虚無」って書けるのかと思った。そして、この奇怪な物語装置は太古から続いているある種の神秘宗教の総決算であって、また、それを十全に処理しきれなかったディックの科学主義が消費しつくせなかった残骸のように見えた。
 宇宙の大エントロピーから生まれた生命という小エントロピー(負のエントロピー状態)にさしかかって、生命誕生以来の何事かの「情報システム上のいたずら」を数十億年にわたってしてきた ( 456夜 ) ことはわかっている。それが遺伝情報における“誤植”という事件であった。その途中で人類という“別の知性”が派生して、その知性が個体としてはたかだか数十年で夥しい死を数珠つなぎに経験してきたこともわかっている。言葉や道具や絵画や機械はその途中にもたらされた「別のいたずら」による産物である。





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フィリップ・K・ディック Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フィリップ・K・ディック