松岡正剛の千夜千冊・900夜
宮沢賢治
『銀河鉄道の夜』
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御存知、『銀河鉄道の夜』の目映い光景である。
その美しさに眼を奪われているとわからなくなるのだが、この物語には、少年の心にはすぐは見えないような驚くべき特徴がいくつも含まれている ( 879夜 ) 。
なんといっても銀河鉄道は「死者の列車」であって、カムパネルラは「死者」なのである。いや銀河鉄道に乗り合わせた乗客はすべて死者なのだ ( 143夜 ) 。 それどころか、この鉄道は死後の銀河をめぐっていた。
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賢治は泣きじゃくり、勇気を鼓舞され、八木先生の言葉をひとつずつを心に刻んだことだろう。だから、八木先生が黒板に「立志」と書くと、当時の少年なら誰もがそうだったのだが、その2文字に心を躍らせた。この時代のキーワードはまさに「立つ」。立志・立国・立身 ( 592夜 ) なのである。
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明治後期から大正時代にかけて、法華経を確信して生命の力を謳歌し、そこに国粋主義とアジア主義と世界主義とを加味して台頭した日蓮主義運動ともいうべきものがダイナミックに動いたことがある ( 378夜 ) 。その原点が田中智学と本多日生で、高山樗牛・姉崎正治が智学に感化されて最初に動いた。それがたちまち井上日召や北一輝や石原莞爾や牧口常三郎の思想の底辺になっていった。井上日召は一人一殺のテロリズムを唱え、牧口は創価学会を唱える。
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大正7年、22歳になっていた賢治に、鈴木三重吉の「赤い鳥」と武者小路実篤の「新しき村」が創刊されたニュースが伝わってきた ( 73夜 ) 。 短編小説をいろいろ試みている一方、しだいに賢治の胸中に“新しい社会”が芽生えていたはずだ。
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賢治が最終的にカムパネルラの不慮の死を想定したのは、以上の想像を絶する七転八倒の推敲編集 ( 743夜 ) の経緯からみると、考えられるかぎりの最も劇的な“悲劇の一撃”だったということになる。そのとたん、銀河鉄道のすべては世阿弥 ( 118夜 ) の橋懸かりのごとく、彼方に連なる蒼茫の鉄路となったのだ。
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これが宮沢賢治の最期の言葉なのである。壮烈に懴悔を超えて、すべての表現者や活動者に突き刺さる。とりわけ、「慢といふうものの一支流に誤って身を加へたことに原因します」は、痛いほどに強い響きを放っている。