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松岡正剛の千夜千冊・909夜

松岡正剛の千夜千冊・909夜
イリヤ・プリゴジン
『確実性の終焉』
 プリゴジンとブリュッセル学派が打ち立てた散逸構造論がもたらした衝撃は、いまなお科学と思想の中心部を揺るがせている。その震動はあいかわらず心地よい。
 われわれは長いあいだにわたって、ひとつの大きな疑問をもってきた。地球は宇宙の熱力学的な進行にしたがっていつか滅びるだろうに、その地球上の生命というものはまるでその不可逆な過程に逆らうかのように個々のシステムを精緻にし、生命の謳歌を主張しているように見える。これはなぜなのかという疑問だ。しかもその生命も結局は個体生命としては次々に死んでいく。( 326夜 )
 熱いものはいずれは冷える。そこには時間の不可逆 ( 899夜 ) がおこっている。いったい時間経過を可逆にしていることと不可逆にしていることのあいだには何がおこっているのか。これをプリゴジンは、力学系のミクロな可逆性と熱力学系のマクロな不可逆とを、ボルツマンの統計学的解決の先っぽでつかまえた。
 不可逆過程は熱力学の本質と密接にむすびついている。熱力学第二法則 ( 368夜 ) はエントロピー増大の法則として、不可逆的にエントロピーを増大させる現象のすべてにあてはまる。
 大戦前、プリゴジンは第二法則を研究しながら、熱力学的な平衡が安定であるための条件を求めていた。そして、システム内部のエントロピー生成量が最小になるときにシステムが安定し、その特別の場合が熱平衡状態であること、そこではエントロピー生成量がゼロになっていることをつきとめた。
 ところがやがて、この成果(エントロピー生成最小の原理とよばれる)を熱平衡から遠い非平衡系に移そうとすると、まったく別の現象がおこることに気がついた。「熱平衡から遠い非平衡系」というのは、システムをとりまく周囲の非平衡性が大きくなった場合のシステムのことをいう。その場合は、不可逆的な流れの大きさを非平衡の線形一次式ではあらわせない。ということは、ここではエントロピー生成最小の原理は成り立たないということなのだ。システムの内部に生じる構造の非対称性がシステムの周囲の非対称性より大きくなっているからだった。
 プリゴジンは、これは「自発的な対称性の破れ」がおこっているためと見て、このようにして生じる構造を「散逸構造」と名付けたのである。
 プリゴジンはこうした散逸構造の出現でもシステムの大局的な定常状態は大きくは変わらないことを証明してみせた。そこでは、正のエントロピーの生成量と負のエントロピーの流入量が互いに打ち消しあって、システムのエントロピーが一定の値となっていた。これで散逸構造の安定は説明できた。
 では、一方、散逸構造が生み出したものは何なのかという問題が残った。ここからが非線形非平衡熱力学の独壇場になる。
 ベナールの対流 ( 848夜 ) は、液体の入った浅い鍋を下から熱すると、ある温度のところから急に対流のパターンが出てきて、上から見るとハチの巣のような形になる現象をいう。鍋が熱せられて非平衡が大きくなり、それがエネルギーの散逸をともなってグローバル・パターンを自己組織化させているという現象だ
 こうした現象は何かに似ている。そうなのである、生命体にこそ似ている。生命は宇宙的な熱平衡から遠く離れた地球という非平衡開放系の上で生じたシステムである。そうして生まれた情報高分子としての生命はやがて自己組織化をおこして、生物時計というような独自な時間を刻み、消化系や神経系を発達させてそこに秩序を生成させた。
 こうしてプリゴジンは生命体の発生分化や成長にこそ、自分が研究してきたしくみがあてはまることに気がついた。とくに、生命体にひそむ「内部時間」はプリゴジンが研究してきた時間の演算子でも説明できるのではないかと考えた。神もオートマトンもその内部に時計をもっていたわけだ。
 いまでも読者が多い『存在から発展へ』(みすず書房)はまさにこのことを高らかに宣言するパイオニアの役割をはたした。この著書でプリゴジンは、それまでのハミルトニアンによる力学の定式化 ( 805夜 ) に代えて、リウビル演算子による定式化を試みて、外部からの規定をうけない「内部時間」にあたる時間演算子を提出している。
 というわけで、プリゴジンは散逸構造論の旗手から複雑性の科学の旗手へ、さらに時間論の旗手となって、本書『確実性の終焉』を著すまでにいたったのである。