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松岡正剛の千夜千冊・927夜

松岡正剛の千夜千冊・927夜
一休宗純
『狂雲集』
 一休は天真爛漫なのではなく、「毒」をもっていたのだ。毒だけではなく、「悪」がある。悪だけではなく、「狂」 ( 781夜 ) がある。そもそも自身であえて「狂雲子」あるいは「夢閨」(むけい)と号したほどである。狂雲子は風来とともに風狂風逸に生き抜くことを、夢閨は夢うつつのままに精神の閨房をたのしむことを意味した。
野僧であろうとしながら大徳寺をとりまとめたし、破戒僧でありながら一休文化圏をつくりきった。飯尾宗祇、柴屋軒宗長、山崎宗鑑、村田珠光、金春禅竹、曾我蛇足、兵部墨溪‥‥、いずれもその後の文化を大成していった連中の多くが、一休文化圏の住人だった。 ( 491夜
 まさに「はか」を失った者のフラジャイルな心境 ( 530夜 ) であるが、それがかえって一休の強みになった。無常は迅速。生死無常の一念は一休に「必死」をもたらしたのだ。
華叟は峻厳で鳴る老師、大徳寺派を代表する無骨一徹の人である。一休はここに食らいつく。師はそのような一休を投げ飛ばす。くんず、ほぐれつの、まさに禅鬼の格闘技 ( 550夜 ) であった。
 亡くなった華叟の葬儀に出たり、堺に住んで朱鞘の大太刀をもって歩きまわっていたり、噂は破天荒で、その言動は昨今の禅林坊主の体たらくをつねに激しく罵倒 ( 924夜 ) しているようである。
 禅僧の修行では、つねにこの20年が問われる。たとえば、おまえの20年はどこにあるのか、というふうに。もう少し正確にいえば、いったん師についたら20年をその門下に当て、さらに20年を自分の「杳なるもの」の問い質しに当てるということなのである。