松岡正剛の千夜千冊・928夜
エルヴィン・パノフスキー
『イコノロジー研究』
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パノフスキーを読んでいると、ホッとする。何がホッとするかというと、学問というのはこんなもんだ、こんなふうに紆余曲折するものだということに、ホッとする。
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そればかりか、ほれ、方法が乱用されたとか、あれ、間違って適用されたということばかりを問題にして、その方法が世界の解釈や認識の解放につながるという可能性の大半を奪っていく。おバカなことである。
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ルネサンス・バロック期の図像(eikon)を論理(logos)として読み解こうという最初の意図は、すでに17世紀に「イコノロギア」として芽生えていたのだが、いわゆる図像学(イコノグラフィ)としてはまだ方法的な萌芽にはなっていなかった。それをヴァールブルクが、様式心理学からイコノグラフィ(図像学)へ、イコノグラフィからイコノロジー(図像解釈学)へと、一挙に引き上げたのは驚くべき方法意識によるものだった。それだけではなかった。
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ところが、パノフスキーは古代中世のレリーフなどに、有翼の青年が砂時計や大鎌や松葉杖をもっている図像があることに注目して、こちらは時間「アイオーン」をあらわしているのだと見た。アイオーンならイラン系の時間観念で、そこにはミトラス信仰(第445夜)の波及がある。
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この愛の神のほうのクピドが担う愛にひそむもともとの観念は、カリタス(善意)とクピディタス(悪意)が競い合って勝ったものという意味をもっていた。その勝ったほうの観念が、時代によってアムール、アモーレ、ミンネなどと呼ばれた。ダンテがベアトリーチェに捧げたか捧げられた愛は、このカリタスとクピディタスの「方法的和解による至上性」をあらわしていた(第913夜)。
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そして、この移行期のイメージを継承する図像群を「擬形態」(プシュード・モルフォシス)とよび、それらが必ず人間のイメージの歴史の移行期のプロセスにあらわれることをあきらかにした。 ( 415夜 )
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