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松岡正剛の千夜千冊・929夜

松岡正剛の千夜千冊・929夜
村山知義
『忍びの者』
 スポーツマンは「忍耐」が好きだし、日本の悲恋は「忍ぶ恋」と相場が決まっている。第823夜であきらかにしておいたように、『葉隠』の思想の底辺に流れているのも「忍ぶこと」だったのである。
 そうした気質のなかで、忍術ブームと忍びの者ブームと忍法ブームがそれぞれ別にあった。「忍術」ブームは大正年間の立川文庫によるもので、これは活劇型・お子様向けだったが、大人も熱中した。ここからマンガの忍者も出てくる。第882夜に紹介した杉浦茂もそういう系類になる。
 もうひとつの「忍法」ブームはこのあと山田風太郎が風変わりな狼煙をあげ、「くの一」の流行にさえ及んだのだけれど、ここから先はすべての忍者ものがメディアを交えてごちゃごちゃになり、タートル忍者のハリウッド映画にまでなった。
 なかで、最大の異色作が村山の『忍びの者』なのである。いくつかに分けて、その異色性を蘇らせておきたい。アルセーヌ・ルパン ( 117夜 ) や隆慶一郎 ( 169夜 ) が好きなら、このシリーズは必読である。
 意外なことだろうが、実は『忍びの者』は日本共産党の機関紙「アカハタ」の日曜版に連載された。昭和35年(1960)11月からのこと、安保闘争が水浸しに終焉していった年である。
 ここまででも十分に風雲児めいているのだが、このあと昭和10年代には共産党員となり、さらに転向をはたして新協劇団を創立すると、なんと新劇の大同団結を画策し、これが功を奏した。滝沢修・細川ちか子・宇野重吉らの演出家を育てたのは半ばは村山だったのである。
 これは第196夜に書き忘れたことなのであるが、ぼくは滝沢修演出の『夜明け前』を観たことがあって(滝沢が青山半蔵)、その演出がまさに新協劇団第1回公演の『夜明け前』を踏襲するものだったらしい。
 以上の物語は1巻ずつが一応は独立しているのだが、やはり現代社会を裏返す視点のために導入された流れは、ずっと一貫する。村山知義の「忍びの者」は解体し編成されつづける組織と反組織の「間(あいだ)の者」でのあった。
新藤兼人 ( 84夜 ) が書いていたことであるが、村山は舞台や映画の脚本を担当すると、抜群の要約と削ぎ落としをやってみせるそうである。けれども肉付けのほうは、『忍びの者』を読むかぎりは、あまりうまくない。話題や場面や解説が次々に変わるほうに、手法が走っている。