松岡正剛の千夜千冊・931夜
芥川龍之介
『侏儒の言葉』
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『芋粥』はふだんはたくさん食べられる芋粥が3分の2しか食せなかった男の話、『手巾』は失われた武士道を探していた大学教授が、或る婦人がテーブルの下で握りしめているハンケチにそれを感じるという短編である。
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その『蜃気楼』にはなぜかマッチ、セルロイド、ネクタイピンが出てくる。ネクタイピンはすれ違った男の胸にキラッと光っていたもので、でも、それはよく見ると煙草の火だったのである。『春の夜は』では丸の内を歩いていたときに感じた野菜サラダの匂いだけが、まるで江国香織 ( 747夜 ) の「スイカの匂い」のように語られる。
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芥川はマリアを「永遠に女性的なもの」としてではなく、「永遠に守ろうとするもの」と捉えたのち、こう言うのだ。「我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶(かめ)や巌畳(がんたたみ)に出来た腰掛けの中にもマリアを感じる」と。
★良心とは厳粛なる趣味なのである。
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