松岡正剛の千夜千冊・932夜
埴谷雄高
『不合理ゆえに吾信ず』
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現代思潮社の『不合理ゆえに吾信ず』は、正方形の黒函入りで、函にもクロス製の表紙にも「Credo,quia absidum.」としか刻印されていなかった。
ぼくはこのストイシズムに酔わされた。なにしろ当方は19歳か20歳の青春紅蓮の真っ只中なのだ。
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せめて埴谷雄高の日常言語からの告白か、その遺漏の断片を聞こうと思っても、この一冊はそれを許さない。つねに存在の様相を崩さない。せいぜい次のような一条があるだけなのだ。「ひとり思想によって考えるのを止めてからの私には、虚無の日々をいとおしむ“ものうさ”がおぼえられた」。
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それにしても、活発に共産党の地下活動をしていた青年が、治安維持法で刑務所に入ったというだけで、これだけの思索を旅立ちさせることができるのだろうかと、ぼくは最初のうちは訝ったものだ。
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この党内査問の日々については、埴谷が『死霊』の原型としたドストエフスキーの『悪霊』に登場する人物たちの境遇とも似ていた。
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ところで早稲田時代、ぼくの周囲では埴谷雄高は反スターリニズムを透視した“賢人”と崇められていた。フルシチョフのソ連に一人で刃向かった『幻視のなかの政治』(中央公論社)は輪読され、読書会さえ開かれていた。
いっさいの国家権力と反国家権力を否認するという埴谷の姿勢は、当時の学生の圧倒的な共感をもって迎えられていた。そのことを、ぼくはいまでもまざまざと思い出せるのだが、それでもそのころすでに、埴谷の表現する政治や革命についての思索が、とうてい現実社会のプログラムに適用するためのものではなく、その「存在の革命」を“実行”する場所は架空の逆国家のようなところか、もしくは宇宙的残響が聞こえる観念の独房のようなところに局限されていたことは、あきらかだった。
ひょっとして埴谷は「論理の涅槃」を考えているのではないか、そんなふうにも見えた。
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これは渋谷恭子が編集を担当した『老年発見』(NTT出版)のなかでのことで、ウィスキーを飲みすぎた中村さんが途中で寝入ってしまい、ぼくはハサミをふりまわして座談をしつづける埴谷さんと、まさに深夜の宇宙存在問答をするという異様なものとなった。
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埴谷 アインシュタインの存在論を超える、哲学か文学のまったく新しいアインシュタインが出なければならない。アインシュタインは「自分が死んだら粒子になる」と言ったのですが、われわれは死んだら粒子になるのではなく、自らが考えた何かになると言うべきです。われわれがどういう想像で自己を超えるかということです。
松岡 それは物質の未来を描く運動方程式だけじゃダメになったということに尽きます。情報の未来を記述できる数学が必要なんです。
埴谷 人類史とは人間が無から有をつくれるかどうかを神が試してきた歴史です。人類の傲慢であったとしても、そこまでいかないと人類は人類にならないんじゃないですか。思考は存在から育てられた。しかし思考が未知の新存在をつくるべきですよ。
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