松岡正剛の千夜千冊・939夜
南坊宗啓
『南方録』
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天心の『茶の本』を読んだら、次には南坊の『南方録』である。この二書は数ある茶書のなかでも抜群に教えられることが多く、おもしろい。
白露地のこと、「暁の湯なれば宵より湯をわかす」ということ、掛物に合わせて床天井をつくること、夜込めの茶や残雪の茶会のこと、あえて夜に花を活けたこと、空手水(からちょうず)のこと、耳を打ち欠いた利休 ( 934夜 ) の花入れに紹鴎が感心したこと…
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能阿弥 ( 520夜 ) -空海 ( 750夜 ) -道陳-利休という系譜のことや利休が大男であったことなどは、『南方録』にしか出てこない。利休の茶のことなら、その真髄の大半は『南方録』を読むことが一番なのである。
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『南方録』は総論を圧縮したような巻一「覚書」、さまざまな茶会記を案内する巻二「会」、草庵の茶の成立を紹鴎を起点に論じる巻三「棚」(図が多い)、空間論ともインテリア論とも読める巻四の「書院」と巻五の「台子」、それに利休のカネワリの秘伝を2本の柱をもとに述べた巻六「墨引」、利休自害ののち南坊宗啓が利休3回忌に追加したかったことを克明に記した巻七「滅後」、という7部の構成になっている。
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その大きな流れには、むろん季節の移り変わりや、亭主や正客の出来事などが組み込まれるべきであるが、それとともに、「時の世」の怒涛と「人の心」の波涛と向かいあう「胸中の山水」の提示というものもなければならず、それにはメタレベルでの作事(さくじ)のプログラムこそが必要なのである。
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ところで、『南方録』は「なんぽうろく」ではなく、「なんぼうろく」と濁って読む。
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