松岡正剛の千夜千冊・966夜
ステファヌ・マラルメ
『骰子一擲』
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イゾモルフィスムとは類似を繋ぐこと ( 294夜 ) 。類似は類似を呼ぶこと。マラルメにとっては、言葉が発するすべての類似の内側で、外なる類似をできるかぎり繋ぐこと。
これはかつて象形文字そのものが知っていたことで、ライプニッツが「モナド」と呼んでみたかったものでもある。ただし、マラルメのモナドは文字のモナドで綴られた。
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こんなことはマラルメにとってはお茶の子さいさい。マラルメはさまざまな領域方法の発見者だった。まずは詩篇だ。誰も試みなかったことを試みた。アンドレ・ジッド ( 865夜 ) はマラルメ晩年の結晶『骰子一擲』を「人間の精神がおこなった冒険の究極である」とまで絶賛したし、同時代の偉大な先輩だったティオフィル・ゴーティエはただ一言、脱帽!と言った。
サルトル ( 860夜 ) にいたっては、何も社会活動なんてしなかったマラルメの作品そのものに、わざわざ「アンガージュマン」(現実参加)の称号を贈った。
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ボードレール ( 773夜 ) に始まった高踏派は次の曲がり角に来ていたわけである。それが最後には最後の『骰子一擲』になったわけだった。詩は書物であり、書物であろうとすることが、詩だったのである ( 903夜 ) 。
天体の息子。マラルメの別称だ。
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