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松岡正剛の千夜千冊・976夜

松岡正剛の千夜千冊・976夜
土方巽『病める舞姫』
◆「田んぼだから、空があまりにも広くて、それから風でしょう。だから空見て、大馬鹿野郎だと思いましたよ」。
 移ろいやすい感情は、こうして土方の体に染みこんで、捜すことも辿ることも容易ではなくなっていた。そのぶん土方は子供のくせに抽象を知っていた ( 0700夜 ) 。
 長い耳掻きが鼓膜にとどいているような感覚。沈んでいる亀を見ているような気分。少年はひたすらそのことを未来のために仕舞っておいた。
◆「わたしが子供のころに染みた言葉は、二つですね。得体のしれねえ熱だな、というのと、三つ児の魂、百までも」。
 軒下はいつだって哲人のように黙りこくっている。そのときは猫背のふりをすればいい。蚊柱はそういう体よりずっと深く何かを知っていて、体の外を科学方程式のように流れ舞っている。これではいったい体は内にあるのか、外にあるのかなんてわからない ( 0879夜 ) 。詩でも雪でもボタボタッと降ればいいのに、そうはいかないから、土方は真っ黒な墨になって、そこを上滑りしてしまっていた。
 もう一度、ほったらかしのものを見なくっちゃ。飴の色。ハーモニカの匂い。婆さんの紐。靴をさかさまにして投げたこと。鈍い米のとぎ水の色。押し入れの中。紙の端っこは必ず引っ張ったこと。蓋をされたような尻の穴とズボンの関係。倒れかかった案山子は必ず死体 ( 0321夜 ) に見えること。どくだみの葉は泣き声を食べること。
◆「舞踏を修得するにあたって大事なことは、同じことが二度おこることに抵抗することでして、でも、こういう作業はね、のさばったような一回性 ( 0711夜 ) を過大にしちゃいけないということなんです」。
 いきなり夜に飛び出してみれば、そこに形態と装束が舞踏するものだ。囲みの中に蟄居すれば、体は胎児を思い出す。体を派生している名無しの行為は、不当な親近関係におかれているままなのだ ( 0217夜 ) 。洗面器のなかで現れる小鳥の足のような顔の将来は、流しの栓が抜かれて捨てられ、精神の逸楽などやっぱり首を括るだけでは採算がとれないことを訴えている。
 では、いったいどこから手をつけるのかといえば、土方は才能の中ではそれが拾えないことを知っていたから、あえてサクリファイスな作舞家が滑稽してしまうほうに歩いていった。ただ、それを寒天色の空がなくても、どうするか。

◆「まあ、太陽を乗せた馬車があるなら、その馬車をはずした馬車引きになって炎天を歩きたいんだとか、そこらへんに転がっている石を拾って乳を搾るというような、そういう始原の記憶ってありますね。舞踏はそこに誘われているっていいますか」。
 昭和53年、磯崎新 ( 0898夜 ) と武満徹 ( 0270夜 ) はパリの「間」展に土方と芦川羊子を招いた。が、土方は行かなかった。もはや一切の公開の場面には顔を出さないという覚悟らしかった。やはり「間」展に招かれた田中泯が残念そうだった。
 昭和58年早春、『病める舞姫』が単行本になった。貪り読んだ。
 田中泯が勇躍して土方さんに近づいたのはそのころである。昭和59年5月にビショップ山田に『鷹ざしき』を振り付けると(ぼくはそのときのパンフレットの編集構成をしていた)、土方さんは田中泯に「恋愛舞踏派」の定礎を約した。その11月5日の夜、アスベスト館に呼ばれてみると、オクタビオ・パス ( 0957夜 ) のお別れ会が開かれていてた。