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松岡正剛の千夜千冊・982夜

松岡正剛の千夜千冊・982夜
荒俣宏
『世界大博物図鑑』
 いつ電話をしても、平凡社のどこかで寝てると思いますという返事だった。それが、この3日ほどは奥の机で寝てましたね、この1週間は風呂にも入れなかったんじゃないですか、さあ、ビルのどこかにいるとは思うんですが、この1カ月は誰も姿を見ていません、というふうに怪しい中継ぎになってきた。
 快挙なのである。荒俣宏は大博物百科全書生物篇を一人で書き抜いたのだ。本書のカバーや箱書や本の背を見るといい。これは「荒俣宏著」であって、「荒俣宏監修」でも「編纂荒俣宏」でもない。
 それを荒俣宏が完全復活させた。環境保護をした。つまり「存在をふやす学」としての博物学復古計画が企てられ、足掛け8年をもってその生物篇が奇蹟的に再生されたのだ。荒俣君本人も書いていることだけれど、「これは、科学でもなければ文学でもない。その両方が分化する以前の知の体系なのである ( 666夜 ) 」。
 知ることをバカにしてはいけません。( 180夜 ) 「ぼくは知識よりも自分で体験したことだけを重視してましてね」などと嘯いて得意がっている連中がよくいるけれど、こういう連中にかぎって他人の意見を理解しようとしないことが多い。こういう御仁たちは、知というものが共有空間を動いている ( 685夜 ) ものだということが、わかっていないのである。
 しかしぼくが思うには、荒俣宏にはやっぱり「蒐集の夢」 ( 683夜 ) が必要なのではないかとおもう。それが何かはわからないが…





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