松岡正剛の千夜千冊・985夜
石牟礼道子
『はにかみの国』
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かくて石牟礼道子は、チッソ告発のジャンヌ・ダルクとして、水俣病問題を推進する自発リーダーとしてのみ、知られていった。上野英信が「石牟礼道子の凄さは、水俣病被害者を棄民として捉えたところだ」と評価したことも、石牟礼の社会派としての活動を浮き彫りにした。なにしろ『苦海浄土』は大宅壮一ノンフィクション賞の第1回受賞作となったのだ。
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しかし、石牟礼は恋を綴っているわけではない。なんというのか、「そこの浄化」とでもいうべきものを綴っている。
その「そこ」とは、有明海や不知火にまつわり、そこにつながるものたちの「そこ」であり、「浄化」は、浄土すら想定できなかったものたちに鎮魂をこめて呟く祈りのような調べのことである。
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こうなると、石牟礼道子の作業が今日の日本にもたらそうとしているものが、とんでもなくかけがえのない「持ち重り」をもっていることに気がつかざるをえない。
それらは、この何夜かにわたる「千夜千冊」で象徴させれば、杉浦康平 ( 981夜 ) の「かたち以前」と「かたち以降」をつなげるものであり、幸田露伴 ( 983夜 ) の連環に出入りする生死の境界にのみあるものであり、これを別国の例にも見いだすのなら、グレン・グールド ( 980夜 ) の「北の人たち」であり、バルテュス ( 984夜 ) の天使としての少女たちであるということなのだ。
しかも、石牟礼はこのような異形にさえつらなるものたちを生んできたこの国を「はにかみの国」として眺めるという、われわれがまったく放棄してしまった「含羞による洞察」によって描ききったのである。
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石牟礼道子 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/石牟礼道子
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