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松岡正剛の千夜千冊・1000夜

松岡正剛の千夜千冊・1000夜
『良寛全集|上・下』
 文章を綴るという仕事は、最初の2~3のパラグラフのところでいくつもの切り口に割れているといっこうに次に進まない( 717夜 )。ささくれだった筆の先のように、文章が割れていく。あるいはノズルがつまっていて、それをむりに押すから、文章が細く切れたり掠ったり、ところどころで血瘤のように溜まってしまう。長年、こんなことを経験していると、書き出す前に微妙な予兆がやってくるものなのだ
 それにしても死期を間近かに控えた田辺元が、良寛の同じ詩を30回も丹念に浄書しようとしていたというのを知って、ぼくは胸に何かが迫ってきてしょうがなかった。
 だいたい良寛は「知音」(ちいん)と「聞法」(もんぽう)がある人なのだ。“耳の禅”をもっていた。それは道元に学んで、空劫以前の消息に耳を澄ましてきた曹洞宗の禅僧としての、一種の極意ともいえる。
 良寛にも「三嫌」がある。「詩人の詩」「書家の書」「料理人の料理」である。良寛はこれを嫌って、自分の好みを貫いた。詩も和歌も、良寛はつねに良寛ふうだった。実際にも「誰か我が詩を詩と謂う 我が詩は是れ詩に非ず」と書いた。良寛は自分で好きにエディトリアル・ルールをつくった人なのだ。
 良寛は強がりが大嫌いで、威張っている者をほったらかしにした。引きこもりも嫌いだった。そういうときは古き時代のことに耽るか、野に出て薺(なずな)を摘んだほうがいいと決めていた。