松岡正剛の千夜千冊・1002夜
ミルチャ・エリアーデ
『聖なる空間と時間』
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この一冊は原題を見てもらえばわかるように、エリアーデの著名な『宗教学概論』全3巻のうちの3巻目にあたる。ルーマニアに生まれ育ってブカレスト大学を拠点にしていたエリアーデがソルボンヌの牙城を落として円熟しきったころの著作で、1970年代せりか書房の画期的な出版企画であった「エリアーデ著作集」では、『太陽と天空神』『豊饒と再生』につぐ。
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日本では、場所について考えるときには大きくは二つの流れに注目したい。
ひとつは、古代から「斎きの庭」とか「結界」として意識されてきた場所である。ここにはたいていムスビ(産霊)がこめられてきた。そのムスビのエージェント・モデルが神籬である。もうひとつは、西田幾多郎の「場所の論理」に発想された場所論だったろう。西田は最初はプラトン=プロティノスふうの「形質をうけとる場所」と「観念をうけとる場所」とを二つながら考え、それを「述語としての場所」に発展させようとしていたのだが、そのうち、そのようにわれわれに対して述語的に場所がはたらくのは、そこになんらかの媒介する論理があるはずだとみなして、その媒介者を「M」と名付けた。
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エリアーデが考えた場所は、一言でいえばヒエロファニーやエピファニーがおこる場所だった。そこに聖なるものの顕現があるところ、それがエリアーデの場所である。
たとえば古代インドでアシュヴアッタというイチジクが神聖視されるのは、そのイチジクが樹木そのもの以上のヒエロファニーをおこしていると感じるからであって、そのようなヒエロファニーがおこるところが聖なる場所なのである。ヒエロファニーのなかで神の顕現がともなうばあいはエピファニー ( 326夜) とされる。
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それでこの話から何をエリアーデが導いてくるかといえば、その永遠回帰する場所がエデンの園となり、浄土となり、エルドラドとなっていったということだ。浄瑠璃寺となり、サンチャゴ・デ・コンポステーラとなり、二上山となり、ノートルダム・ド・パリとなり、吉田神社になったということだ。
すなわち、そこにユートピアや観音郷やアルカディアや桃源郷が生まれ、そしてそれとはまったく逆なる場所として、そこに「負の力」もまた同時に宿ったということだった。強力なタブーも生じたことである。このように聖なる場所と負を引き取る場所とが同時に同一のトーテムを挟んでおこりうることを、エリアーデは好んで「反対の一致」と呼んだ。
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いま、多くの者の心は何かを喪失している「いたみ」を感じているであろう。そういう時代だ。その「いたみ」は親しいものを亡くした「悼み」であり、体におぼえのある「痛み」であり、自身の心だけが知る「傷み」でもあろう。この「いたみ」はいつかは必ず知らなければならないもので、捨てようとしても棄却できない。いつかは直面せざるをえない。
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諸君には必ずそういう喪失感がある。むろん、ぼくにもある。それは、それとは名指しできない原郷なのである。それこそが本来の意味でのホームシックであり、ノスタルジア ( 482夜) というものなのだ。そこへ行ってみなければ、ああ、ここだったのかとわからない場所なのだ。
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