松岡正剛の千夜千冊・1003夜
石田波郷
『鶴の眼』
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父が教えた波郷の句は「霜柱俳句は切字響きけり」だった。切字の大事について中学生のぼくに説明しようとしての例句だったのだろう。
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だいたい切字といっても「や」「かな」「けり」だけではない。芭蕉のころすでに十八用例を数えた。「松青し」「雨ぞ花」「染めつくせ」「花は見つ」「月いかに」「よも降らじ」の、し・ぞ・せ・いかに・じはいずれも「切れ」あるいは「切れ字」なのである。
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波郷は俳壇では人生派とか生活探求派とか(いずれもつまらない呼称だ)、また韻文派とかと呼ばれてきた。韻文派というのは散文派にたいする否定の意味をもっていて、これは桑原武夫 ( 272夜) の俳句第二芸術論に対抗していた波郷の態度をあらわしていた。
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鉄色の曠野をわたる年の暮
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雁やのこるものみな美しき
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