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松岡正剛の千夜千冊・1004夜

松岡正剛の千夜千冊・1004夜
宇佐美承
『池袋モンパルナス』
 大正12年(1923)の関東大震災で、全東京がすっかり倒壊して焼け野原になったこと ( 699夜 )はだれでも知っている。けれども、そのあとにどのように東京が社会復興して、文化逆転をおこしていったかは、いまはまったく語られていない。原爆投下後の敗戦直後の焼け跡闇市についてはずいぶん語られてきたが、関東大震災のあとの東京はすっかり忘れられている
 本書はプロローグ、第1部「花莟」、第2部「繚乱」、第3部「落下」、エピローグという鮮やかな5章仕立てになっている。その「落下」のところをちょっとつまみたい。
 昭和16年といえば日米開戦の年である。その花冷えの4月のある日、福沢一郎が逮捕された。日本にシュルレアリスムの思想と画法をもちこみ、前衛集団「美術文化協会」のボスである。
 丸木位里や麻生三郎が「アカでもないのにどうして福沢が逮捕されたのか」と訝っていたところへ、滝口修造夫人がとびこんできて「うちの主人が逮捕された」と狼狽した。仲間たちはこれでやっとシュルレアリスムさえ逮捕の理由になったことを知る。3週間後に予定されていた美術文化協会の展覧会は中止になった。翌年は自由学園寄りに住んでいた村山知義が逮捕された。『忍びの者』の村山ではなく、まだ前衛美術家としてのみ知られていた村山だ。
 しかし、事態はそこまでだ。あとは日本全体がおかしくなって、池袋も上野も銀座もなくなっていく。長沢節以外では、こうした火の消えた繁華街の風情をおもしろがったのは永井荷風くらいのもの ( 450夜 ) だったろう。やがて東京全土が再度の焦土となってしまった。
 こういうことは美術史の連中よりも、映画やマンガをつくる人々のほうがずっと鋭い。なぜなら、かれらはその時代のドラマを演出するにあたって、その当時のトポスをときによっては細部にいたるまで再現しなければならないからである。かれらは背景づくりにも賭けている。そのとき、その時代の真の意味が蘇る。いま、神戸震災を描いた映画やマンガがあるかどうかは知らないが、仮にあったとしても、そこにはたしてどのような生き方や復興後の都市が描かれるのだろうか? 士郎正宗の『攻殻機動隊』や大友克洋の『AKIRA』 ( 800夜 ) のようには、描けまい、描かれまい。復興された神戸はあまりに震災の傷痕を消しすぎているし、焼け跡からタケノコのにように芽生えるものを待つには、救済の手は大まかすぎた。
 まだ、池袋東口にもそんな風景が毎日くりひろげていた1970年の暮のことである。1カ月前、三島由紀夫が市ケ谷で割腹自殺した。 ( 1022夜
 ぼくはその木造事務所に「工作舎」という木の看板を掛け、高橋秀元・定森義雄・上杉義隆の3人で「遊」の準備を始めた。