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松岡正剛の千夜千冊・1005夜

松岡正剛の千夜千冊・1005夜
吉田武
『虚数の情緒』
 ところが本書は、かなりちがっていた。虚数の理解についてはもちろん多くのページを割いてはいるのだが、それ以上に「学ぶ」という意味を解き、とくに科学的で数学的な思考のパフォーマンスをもつことについて独自の見方を導入した。
 著者は数学を学ぶにはまず「言葉」を学びなさいという。言葉こそが歴史であって文化であって、人格であって君自身なんだという。これはこの通りだ。
 ついで、青年は「易きにつくな」、いたずらな小我を破って「守・破・離」をまっとうせよという。それには絶対に「読書」が必要で、それも針の穴から隣人を覗き見てその全人格を了解するような読書をしなければならないという。そのおりに「年表」のおもしろさを知りなさい、自分で年表を作成してみるといいとも奨める。なぜ年表を重視するかというと、科学も技術も積み重ねと発見と意外性の飛躍からなっていて、それを知るには年表の中に入っていくのがいいという理由かららしい。
 ここまですこぶる快調、なるほど、なるほどと思わせる。が、全方位独学法の真骨頂はここからで、次に著者が持ち出すのは理科系と文科系に世の中を分けるな、二分法はそれなりの効用をもつけれど、和魂洋才とも言われるとおり、互いに異なる知識や才能が組み合わさることのほうがもっと重要で、寺田寅彦 ( 660夜 ) や中谷宇吉郎 ( 1夜 ) や岡潔が、またロバート・ゴダート(ロケットの父)やリチャード・ファインマン(物理学者) ( 284夜 ) が、あるいはウィントン・マルサリス(ジャズトランペッター)が、そうであったように、相違を分けるのだけでなく、どこかでそれらを「丸呑み」することがさらに重要だとのべる。
 ことに「文化にはグローバルスタンダードなんてありえない」とのべ、その説明に中学生を相手にしていることなどものかは、あえて本居宣長 ( 992夜 ) が「漢意」(からごころ)に対するに「古意」(いにしえごころ)の方法をかざしたことを例にあげているところなど、まさに著者の独壇場となってくる。
 ディラックやトモナガ ( 67夜 ) の量子力学の教科書を読んでいる気分になりかねないが、著者の解説ぶりは数式の解き方をふくめてまことにエレガントで、おそらくは理論物理学者になっていたら、とっくに何かの"発見"をしていただろうとおもわせた。
 まあ、とにもかくにもこういう大冊なのである。こういう著者が元気に自説を貫いていることに快哉を叫びたい。ぼくもいつかは子供にこんな話をしてみたい。