どうみても、これは帝都のトポグラフィック・ノベルなのだ。昭和9年(1934)といえば、満州事変 ( 378夜 ) から3年目、日本が国際連盟から脱退した翌年のこと、すでに5・15事件も11月事件も、悪辣で名高い治安維持法の起動もおこっている。日本が長きにおよぶであろう孤立を、誤解のままに胸中に覚悟した年なのである。
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ようするに昭和9年は昭和の最後の狂い咲きなのである。十蘭はこの爛熟する帝都をとらえて上海に倣って「魔都」とよび、その魔都でこそおこりうる事件を絡めつつ、トポグラフィックに綾なす帝都独特の狂言綺語を織りなしたのだ。
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久生十蘭は変わった男である。小説家や作家だったといえば、むろん正真正銘の作家だった。快作『鈴木主水』で昭和27年の直木賞 ( 364夜 ) をとった売れっ子でもある。探偵小説作家だったといえば、まさにそうだ。江戸川乱歩 ( 599夜 ) ・夢野久作 ( 400夜 ) ・横溝正史・小栗虫太郎と並ぶのは久生十蘭である。『顎十郎捕物帳』は岡本綺堂の捕物帳 ( 963夜 ) を継ぐ傑作だ。
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十蘭は本名を阿部正雄という。明治35年(1902)に函館に生まれて海運業を経営する叔父に育てられた。
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では、ぼくの注目事項だけを書く。十蘭は文体が推理なのである。文言が探偵なのである。そう、理解したほうがいい。
こういう文体の迷宮性をもって物語を律する語り部は、いまの日本には中野美代子くらいしかいない。中野さんは中国文学者であって、『孫悟空』の研究者、それでいて中国文化にひそむ文字と図像のとびきりの解読者であるが、その一方では過激で濃密な幻想小説作家でもある。そういうと、ひょっとして赤江瀑や京極夏彦などをおもいうかべるおっちょこちょいがいそうなので文句をつけておくが、とんでもない。中野美代子は久生十蘭の直系の嫡子というべきで、あえていうなら「中井英夫→中野美代子→澁澤龍彦 ( 968夜 ) 」なのだ。
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先に書いておいたように、十蘭は「函館新聞」の記者だった。大正12年(1923)9月1日、関東大震災の第一報を聞いた地方記者たちが戒厳令下の東京に潜入するために果敢な上京を企てたことがあった。福島を午後4時近く、8時に宇都宮、9時40分に古河に着いた十蘭は、「東京日日新聞」などの6人の記者グループと連れ立って、徒歩で帝都突入を敢行した。そのときの「東京還元」という奮った大見出しの記事がのこっているのだが、それが「資生堂はバニラアイスクリームとともに溶け」というふうに始まっている。なんという第一報記事か。ルポルタージュとしてどのようにその現場をヴィジュアライゼーションするか、十蘭は大震災の炎上と瓦礫の渦中ですら、こういう抜群のペダンティック・ルポルタージュを発揮できたのだ。
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久世が試みたのは、乱歩を通して乱歩の昭和9年だけを浮き彫りにすることだった。これは十蘭が試みたことの60年後の再実験なのである。もっとわかりやすくいえば、十蘭も乱歩も、もともと昭和が「遠い昭和」になることを承知して、そこに身の毛もよだつ犯罪事件と帝都光景をモザイクしておいたということだったのである。
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久世光彦はそれに気がついた。この久世の作品に解説をよせた井上ひさし ( 975夜 ) も、むろんそれに気がついていた。気がついていないのは、いまなおたんなるミステリーファンでしかない諸君、昭和というものなんてどうでもいいと思いこんでいる諸君だけである。
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