松岡正剛の千夜千冊・1011夜
岡田英弘
『日本史の誕生』
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たとえば、最新の講談社版「日本の歴史」第00巻の網野善彦 ( 87夜 ) 『「日本」とは何か』は、網野史学のラディカルな良心を結集して敗戦直後に問われるべきだった「日本とは何か」という課題を、苦汁をもって良薬に変じようとした乾坤一擲の慟哭を感じさせる一冊となっているのだが、そして、その凄まじい歴史家としての気概には脱帽せざるをえなかったのだが、日本誕生の時期については国号としての「日本」の使用のみを徹底して問題したわけだったから、この議論からは聖徳太子時代から天武朝までがフューチャーされるだけなのである。
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著者が貫徹した視点は、中国の歴史の一部として日本を見るということである。
この見方は、日本という母型の成立に注目しようとする者にとっては最も反対の極にある見方にあたるようでいて、実は母型を見定めるにはかなり有効な座標を提供してくれる。対抗軸や対称軸が鮮明になる。ジャック・ラカン ( 911夜 ) ではないが、東アジアの鏡像過程としての日本が見えてくる。
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日本誕生ではなく日本史誕生の変遷を駆け足で追う紹介にとどまってしまったけれど、ひとまずはこの河内王朝がワカタケルにおいて大きな頂点を迎えていたこと、そこにぼくが追求したい日本の母型のひとつが象形されていること、そのことが東アジア社会のストリームとけっして無縁ではなかったことを言い添えて、今夜の話を打ち切りたい。
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