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松岡正剛の千夜千冊・1012夜

松岡正剛の千夜千冊・1012夜
グスタフ・ルネ・ホッケ
『迷宮としての世界』
一読、もちろん目が眩んだが、そのまさにカイヨワのいう眩暈(イリンクス)( 899夜 ) ともいうべき読中感で得たものはその後のぼくの想像力のための第三番目のエンジン気筒となったのだから、これは、この本を読んだか読まないか、その一点のもつ分岐力だけが重大だったということを告げたのである。
 マニエリスムとは、ある時代の割れ目に向かって決定的な精神の変動をおこうとした者たちが気がついた「方法の自覚」のこと、その自覚された方法の体現のことである。
 ついでにいえば、このようなポリスは、各オイコス(家)の家長が一人ずつ選出されてポリスのメンバーになることによって成立する。これが直接民主主義の基本だった。…
オイコスはつねにポリスの不足を埋める装置だったのである。いわばオイコスが「負」を充填し、ポリスが「正」を謳歌する。そういう宿命的な関係があった。
 最後に一言、こんな感想がいまだに残響する。当時はむろん、いまでも半分はそう思うのだが、ホッケが案内してくれたマニエリストたちは、その多くがなんとも工人ダイダロスっぽくて、ということは仕掛けのあるサイボーグかロボットめいている ( 953夜 ) のに、そのくせやたらにギャラント(伊達)で、マルチスピリチュアル(多精霊的)であったことか‥‥という感想だ。