松岡正剛の千夜千冊・1015夜
石井桃子
『ノンちゃん 雲に乗る』
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石井桃子という人は、ぼくが尊敬している作家で翻訳者である。戦前から翻訳をしていて、ミルンの『クマのプーさん』、ドッジの『ハンス・ブリンカー』、ガーネットの『フクロ小路一番地』、バートンの『せいめいのれきし』や『ちいさいおうち』はみんな石井桃子の翻訳だった。
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第55夜の「ドリトル先生」のところでも書いたように、あの翻訳を井伏鱒二にまかしたのも、出版したのも石井桃子だった。文芸春秋社を退いたときの退職金で白林少年館をつくるのだが、その記念すべき第1作が「ドリトル先生」なのである。
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これらに疑問を感じて新たな独創による童話の世界にとりくんだのが漱石門下の鈴木三重吉である。「赤い鳥」「おとぎの世界」「金の星」「童話」「コドモノクニ」といった雑誌が次々に刊行された ( 1054夜 ) 。これには新たな「童画」の誕生も伴走した。竹久夢二 ( 292夜 ) ・川上四郎・武井武雄・清水良雄・岡本帰一・初山滋たちである。ぼくはいずれも好きな世界だが、これをさらにまったく独自の玄妙的幻想とでもいう境地にはこんでいったのが小川未明 ( 73夜 ) だった。
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そこに芥川龍之介 ( 931夜 ) の『蜘蛛の糸』『杜子春』、有島武郎 ( 650夜 ) の『一房の葡萄』『溺れかけた兄妹』、佐藤春夫 ( 20夜 ) の『美しい町』『蝗の大旅行』が加わって、この動向を鋭すぎるほどに反映した。児童文学史では宮沢賢治の実験 ( 900夜 ) もこのあたりに入る。
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こうして戦後、石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男が『子どもと文学』をアピールして、ここから大きなうねりが生まれていった。瀬田は草田男の門下の俳人で絵本研究家、その一方で『おとうさんのラッパばなし』などの創作も、ルイス『ナルニア国物語』、トールキン『指輪物語』の翻訳も手がけ、渡辺は慶応の図書館学科を出たのちニューヨーク公立図書館などにいてストーリーテリング技法を習得、『エルマーの冒険』などを書いた。
この3人のアピール、および古田足日・鳥越信らによる『少年文学の旗の下に』のマニフェストが、今日におよぶ日本の童話のエンジンになったのである。おおよそは、そう考えていい。松谷みよ子の『龍の子太郎』、早船ちよの『キューポラのある街』、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』、いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』が昭和30年代の日本を席巻したのは、このエンジンがフル稼働していたことを象徴する。
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石井桃子 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/石井桃子