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松岡正剛の千夜千冊・1018夜

松岡正剛の千夜千冊・1018夜
リュシアン・フェーヴル&アンリ=ジャン・マルタン
『書物の出現』
書体や字体が一定になっていくというのは、そのぶんわれわれの内なる「内声の文字」(空海) ( 750夜 ) というものをむしろ豊富にもたなければならないということなのだ。かえって内なるタイポグラフィが問われているということなのだ。いまでもイスラム諸国では『コーラン』がそうであるように、内容ごとにタイプフェイスを選んだ本づくりをする。『コーラン』は1章1節ごとに書体を変えるのだ。
 が、こんなふうになったのは歴史的にはごく最近のことで、活版印刷が旺盛だったころは書物や新聞を組んだり印刷しようとおもえば、東京でも印刷所ごとに別種の活字母型(フォント)をもっていて、どの印刷所に頼むかによって、それぞれのタイプフェイスの表情が異なる出版物が毎夜生まれていったものだった ( 128夜 ) 。もっと前は、それこそ内容ごとに書体が異なった。
 書物はどのように広まったのか。巻物にしても冊子にしてもオリジナル(原本)は一部しかない。そこで、それを書写生や写本生がコピーする。これで複数の写本ができていく。このコピー作業をだれがどのようにするかが出版の原型だ。古代ローマには写本組合をつくるほどの専門家もいたが(漢にも書字生も、また書店すらあったが)、たいていは教会や修道院の写本僧が担当した。こういう僧侶を当時はエクリヴァン(書士)といった。ショーン・コネリー主演の映画『薔薇の名前』にはこの修道院のなかのエクリヴァンの往時の姿が妖しく再現されている ( 241夜 ) 。